プロローグ

「部長、またですよ」
 コンピューターのディスプレイと計器に見入っていた高階が突然席を立ち、実験室中に響きわたるような大声で叫んだ。
 図面に見入っていた佐々木がおもむろに顔を上げる。
「妨害電波か。測定はできそうにないのか?」
「だめですよ。画面の図形がぐちゃぐちゃだし、メーターも不規則に揺れてますよ」
「しょうがないなあ」
 佐々木は両手を机につくと、まるでバーベルを持ち上げるのとは逆の形で見るからに重そうに自分の体を押し上げ、体を反転させて窓の外をうかがった。「やっぱりきてるなあ。言うだけ言ってみるか」
「また、ヤクザまがいに逆に言い返してくるんじゃないですか。みんなで多勢でいきましょう。そうすりゃけんかになったって負けませんからね」
 高階が腕捲りをして言うのを、佐々木は苦笑しながら扉方向に足を向けた。
 佐々木が勤める東日本電機株式会社は本社と二つの工場、それに全国の主要都市に展開している営業所まで含めると工作機械では中堅規模のメーカーである。佐々木の所属する設計部は、常に新製品や仕様変更の設計に追われていた。
 そんな中、つい二週間ほど前から隣接する空地に食品加工の工場ができるとかで、頻繁にトラックが出入りするようになった。
 それ自体はどうということはないのだが、運転手たちが運用しているCB無線が問題だった。電波法などどこ吹く風で平気な顔をしてハイパワーの運用をしており、27メガヘルツ以外の不必要な電波までをまき散らしてくるのだ。工作機械とはいっても近年ではいわゆる産業用ロボットの生産が主流であり、無線を利用しての遠隔操作の機器もあるので妨害電波の侵入はおのずと実験に悪影響を及ぼすのだった。
 この前も佐々木が注意しにいくと、謝るどころか運転台から見下ろすようにして「警察でもどこでも勝手に通報しろ」と、開き直ってくるのだった。
「三台いますけど、アンテナが付いているのは一台だけですね」
 屋根に高さが二メーター弱のアンテナが上がっているダンプに、おずおずと近づいていく。
「ちょっとすみませんが・・」
「なんだね、あんたらは?」
 なにも言わないうちから、窓越しにけんか腰の態度だ。
「いえ、そこの工場で働いている者なんですけどね」
 佐々木は胸ポケットから財布を抜くと、名刺を取り出して渡した。
「ほおー、設計部長さんねえ。こういう偉い人がなにかご用ですか?」
 男は焼けた浅黒い顔に、皮肉たっぷりのニヤつきを浮かべた。
「車のアンテナから察するところ、CB無線をやってらっしゃいますよね?」
「それがどうかしたかね」
「いえ、私もアマチュア無線をやってますので無線自体は多いにけっこうなことだと思います。ですが、先ほど私どもの実験装置に妨害電波が入りまして実験ができなくなってしまってるものですから、こちらで無線を運用されてたんじゃないかと思いまして」
「交信はしてたが、あんたらにいちいち断ってからやらないといけないものなのか?」
「いえいえ、そういうわけじゃありません。ただ、出力が500ミリワット以下での適性な運用なら妨害電波まで出てしまうというのは考えにくいものですからね。まちがえてましたら大変失礼なんですが、500ミリ以上の出力が出る無線機を使用なさっているのではないかと思いましてですね」
 佐々木はできるだけていねいに言葉を選んで話したが、とたんに男の血相が変わった。
「おまえらなにか。警官にでもなったつもりでいるのか。どんな械械を使おうと赤の他人にとやかく言われる筋合いじゃねえよ」
「それはそうかもしれませんが、なにしろこちらとしては仕事ができなくなるものでからね。もし、出力が規定以上に大きい無線機をお使いでしたらやめていただけませんか」
 できるだけ穏便にすましたかったが、そんな佐々木の胸の内はおよそ理解できるような人間ではないと見え、男はドアを半開きにすると身を乗り出してきた。
「やかましい、生意気なことを言うんじゃねえよ。なんだったらやるか!」
 男はさらにステップに足をかけてすごむ。後ろにいた若い連中は思わず後退りしたが、佐々木は怯むことなく足を一歩前に踏み出した。

ダンプ

「そもそもCB無線のアンテナは、無線機に直接付いていないといけないものなんです。アンテナを屋根の上に載せているだけでも立派な違法行為なんですよ。やめてくれませんか」
「うるせえ。文句があるんだったら警察でもどこでもいったらいいだろう」
 少しは佐々木の迫力に気圧されたのか男はその捨てゼリフを残し、ドアを力いっぱい閉めるとカーラジオのボリュームをあげ知らぬ半兵衛ときめこんだ。
「ふっー、しょうがないな。いこうか」
 佐々木は部下を促し、その場をあとにした。
「たく、処置なしですね。ちらっと見たんですがすごいですよ。助手席に置いてあったのは、たぶんキロワット単位のリニアアンプじゃないかと思います」
「法令で定められた二千倍の出力か。それじゃ、バッテリーからは相当大きな電流が流れるはずだな。ダイナモにだってかなりの負担がかかるはずだがなあ」
「当然そのへんも改造してるんじゃないですか。それにしても恐ろしい機械を積んでますよ。ナンバーを控えておきましたから、いっそのことほんとに電監か警察に通報しましょうよ」
 高階がメモ用紙を佐々木の前に拡げながら言った。
「うむ、隣りに出入りする連中だからな。もう少し様子をみて、仕事にどうしても影響が出るようだったら告発手続きをとろう」
 高階は拍子抜けしたようすで、メモ用紙をポケットにしまいこんだ。
「なにごとにつけ慎重な部長らしいですね」
 佐々木は苦笑いで高階の肩をポンポンたたいた。
 設計部室にもどる途中、中から出てきた製造部の刈谷課長と出食わした。
「いま試作品を見てきたところだけど、まだ半分もできてないようだね。来月には製造にかかる予定なんだし、支障なくラインに載せるには数週間はかかるだろうから、もう少し気を入れてやってもらわないと困るね」
「ええ、わかりました。いま急いでやらせているところでして今週中には目途がつくと思いますから」
「ほんとに頼むよ。下らないことに関わりあってる余裕なんかないと思うんだがなあ」
 刈谷は背中を向けてからもぶつぶつ小言を並べながら廊下を歩いていった。
「なんですか、あれは。およそ上司に対する口のきき方じゃありませんね」
「ふふ、悪気はないのさ」
 口を尖らせて言う高階を、またもや佐々木がなだめた。
 部屋に入ると電話の応対に出ていた女子事務員が佐々木の顔を見るなり、
「あ、ちょっとお待ちください」
 と言って受話器をおいた。「部長、警察から電話が入ってます」
 居合せた者全員の視線が佐々木に集中する。
「ハハ、ほら、一週間前にコンビニエンスストアーで買い物をしているときに車を盗まれたことは話してただろう。たぶん、その件さ」
 高階が間髪を入れず、メモ用紙を突き出して言う。
「ついでですから、あのダンプのことを言いましょうよ」
「そ、そうだな」
 佐々木はしかたなしにメモ用紙を受け取ってから受話器を手にした。