11 アリバイ工作の解明  その1

<JM1QK×、JJ1NA×。聞こえますか、どうぞ>
 聞いたこともない男の声が、突然スピーカーを鳴らした。ソファでうとうとしていた萩野は自分のコールを呼ばれたのかどうかはっきりしないまま、次のコールを待った。
<ジャパン・マイク・ワン・クィーン・キロ・×××、JM1QK×。聞いてませんか。こちらジャパン・ジャパン・ワン・ナンシー・アルファ・×××、JJ1NA×>
 まちがいなく萩野を呼んでいることは確認できたが、声もコールサインも初めて聞く局だった。萩野は薄気味悪さを感じながらもマイクを握った。
<JJ1NA×でよろしいですか。こちらJM1QK×、世田谷固定です。あれ・・!?>
 しゃべっている途中で、そのコールサインは美圭のものであることに気づいた。
<ふふ、眠ってたんでしょう。そうよね、きょうの午後は予定がないって言ってたものね。わたしの声、どういう風に聞こえる?>
 話す口調も内容も美圭のものだが、音質はどうあがいてもコンピューターの合成音にも似た男のものだ。その響きは以前にも聞いたことがあるような気がした。
 萩野はどう対応したものか考えあぐねてスイッチは押したものの、しばらく言葉を出せなかった。
<ええと、美圭・・さんですか?>
 さん付けで呼んだことはなかったが、思わず口をついて出てしまった。
<ふふん、およそわたしの声には聞こえないでしょう。ちょっと待ってね>
<ああ、いったいどうなってるんだ?>
 萩野はいらつきぎみになって訊いた。
<きょうね、友達とコンサートにいった帰りに秋葉原に寄ってきたの。そこでおもしろいものを見つけたのよ>
 今度は本物の美圭の声が聞こえた。
<だからなんだよ?>
<あのね、ボイスチェンジャーっていって声でも音でもいいんだけど、周波数を変換させて音質を変えてしまう器械を買ってきたの。さっきのわたしの声、男の声に聞こえたでしょう>
<ああ、そうだったのか>
 萩野はそう言いながら机の上の無線雑誌を手元にもってくると、ページをぱらぱらと捲った。その雑誌の広告欄で見たことはあるが、直接に製品を見たことはなかった。ましてや実際運用されたものを聞くのは初めてだった。
<いまね、オシロスコープに入力してブラウン管を見てたんだけど、音声の高低によって周波数がどんどん変わっていくのよ。お友達がくるまでにまだ時間があるんだったらきてみない。おもしろいわよ>
 美圭はオシロスコープをいじり始めて以来佐々木の血はあらそえないというか、進学先が短大の推薦枠の中に入ることができたということもあって、いつのまにかその虜(トリコ)になってしまっていた。マイクからいろいろな音を入力してはその波形にああでもないこうでもないと屁理屈をつけ、果ては発振器を購入してオシロスコープにつなぎ、真ん丸や綾取りのようなループのリサージュ波形をつくっては高価なオモチャとして楽しんでいた。
<そろそろ清水さんがくるころだから、またにするよ>
<そう、残念ね。じゃ明日にでも持っていって見せてあげるわね>
 美圭がそう言うのと同時にガラス戸がガラッと開いた。
<はいよ。いまお客さんがきたところだからこれで終わるよ>
<はあい、JM1QK×、JJ1NA×。そいじゃね、ふふん>
 よくよく見ると、出口にのほほんとつっ立ったのは清水ではなく関口だった。
「なんだい、いまのは? コールもしゃべり方も美圭ちゃんのだったけど、美圭ちゃんじゃなかったね。52仲間のいたずらかい?」
 美圭は最後のひと言を、また男の声にしてしゃべったのだった。
「ボイスチェンジャーって聞いたことありませんか。声を自在に変えられるやつなんですけど」
「ああ、周波数変換装置のことだね。ふーん、あんなものを買ったのかい。かなり深みにはまりつつあるなあ、ハハ」
「ところで刈谷さんのアリバイの裏はとれましたか?」
「ふむ、残念ながらね」
 関口は気落ちしたようすで椅子に腰を下ろした。「わざわざ新潟まで出向いていったけど無駄足に終わったよ。刈谷が言った局と一人ひとり会ってログまで見せてもらったけど、全部刈谷の証言どおりだったね。だけど一つだけ引っかかることがあるんだ」
「といいますと?」
「事件のときのQSOの相手局二人が、電波を出すときのアタマが切れてたって言うんだよ。要するにVOXを使ってたらしいんだね」
「VOX? ああ、使ったことはありませんけどHFの無線機に付いてる声を出すと自動的に送信状態に切り換わる回路のことでしたね」
「そうさ。スペースシャトルで毛利さんたちがしゃべるときには手動の切り換えスイッチなんて使ってなかったけど、あれはVOX回路を通してるためさ。あの中継のときもそうだったけど音声を認識して回路を作動させるのにはごくわずかな時間だけど必要とするから、どうしても最初のひと言の一部分が欠けてしまっていただろう。あの状態だったらしいんだね」
「はあ。それでVOXを使っていたことのなにが引っかかるんですか?」
「各メーカーを調べてみたんだけど、430を出せるトランシーバーでVOX回路が付いてるのは、HFとか144、1200との一体式になっている高級機タイプの数機種だけなんだよ。新潟までもっていって使うのに、そんな高いものは使わないないんじゃないのかい?」
「さあ、そう言われても。直接本人に確かめてみたらいいでしょう」
「もちろんそのつもりだけど、さっき電話したら完全にヘソを曲げてしまってさ。こんなにしつこくしてくるんだったら人権侵害で訴える、調べたかったら勝手に車でも家宅捜索でもしたらいい、なんて息巻いてるもんだからさ。ま、言われなくたって家宅捜索は無理としても車は明日にでも調べるつもりだけどね」
「ふーん、やましいところがないんだったら素直に教えればいいと思いますけど、変ですね?」
 そこに二人めの来客が現れた。
「ごめんください。あ、どうも」
 手土産をぶらさげた清水だった。
「やあ、しばらく」
 萩野は立ち上がって応対すると関口に紹介する。「高校のときの友達で清水ですよ。便利屋の先輩でもあるんですけどね」
「ああ、アマチュア無線もやっているという」
 関口も立ち上がって礼をすると、今度は関口を清水に紹介する。
「ほら、佐々木さんの事件を追っているハムの刑事さんだよ」
「そうでしたか。佐々木さんとは7メガで二回QSOしてカードももらってるんですよ。ですから一日も早く犯人があがるのをまってるんですけどね。捜査は難航してるようですね?」

刈谷の部屋

「ええ、まあ・・」
 関口が苦笑して頭をかく。「実をいうと私も昨日新潟市に一泊して、先ほどもどったばかりなんです。残念ながら収穫はなにもありませんでしたけどね。それじゃ、私はこれで」
「いえ、別に気を遣うような相手じゃないですから、ゆっくりしてったらいいじゃないですか?」
「いやいや、そういうわけじゃないよ。刈谷は残業続きで毎晩遅くまで仕事をしてるっていうからさ。車は会社の駐車場にとめてあるだろうから、これから東日本電機までいって見てみるよ」
 そう言われれば引き止める理由もなく、萩野は立ち上がって見送ろうとしたところを清水が何気なく訊く。
「いま、東日本電機って言いましたか?」
「ええ、そうですけど」
「刈谷さんて、東日本電機の刈谷さんですか?」
 萩野と関口は両サイドから、それこそ目の玉がひん剥けてしまいそうな顔で清水に見入った。
「どうして刈谷を知ってるんですか?」
 足を前に踏み出して訊く関口に、清水は思わず後退りしながら言う。
「ほ、ほら、前に三階建てマンションの屋上に、高いところは苦手だっていうお客さんにアンテナを建てるのを頼まれたろう。あれが刈谷さんさ」
 萩野が思い出したように訊く。
「そうか。じゃあ、取り外すのも清水がやったのか?」
「ああ、そうだよ。建ててから二、三ヶ月もして急に東京にもどることになったとかでさ。下ろしてしまったよ。ま、こっちは稼ぎになりさえすればいいけどね、ハハ」
 清水は屈託のない顔で笑った。
「ふーむ、世の中偶然ってのはあるものなんですね。いや、これは神様の思し召しってとこかもな」
 再度椅子に腰を下ろした関口が腕を組み、しかめっ面になって言った。
「なにか佐々木さんの事件に関係があるんですか?」
「ええ、大ありですよ。当然刈谷の家にはトランシーバーがおいてあったと思うんですが、機種は覚えてませんか?」
「ええと確かケンウッドのTM−441でしたね」
「それはVOX回路は付いてないタイプですね?」
「そうだと思いますよ。車を運転してるときに両手を使わなくていいようにとのことで、一度VOXが付いている機種を探したことがあるんですが、意外にもカートランシーバーには付いてないんですね。メーカーの人の話しでは、ヘッドセットのように直接口許に取り付けられるマイクなら別として、運転中にハンドマイクでVOX回路を作動させると顔が右を向いたり左を向いたりしてますから、動作が一定しなくてそれに気を取られてしまってかえって危険らしいですね。だからケンウッドに限らず、モービル専用タイプのトランシーバーにはどれにも付いてないですね」
「なるほど、そんな理由がありましたか。いやね、どうしてそこにこだわるかといいますとね」
 関口は萩野の前から飲みかけのお茶をもぎ取るようにして自分の口許に運ぶと、一気に飲み干した。「これからお話することは捜査上の秘密ですから、絶対に外部に洩らしてもらっては困ります。その上で捜査にご協力いただきたいのです」
「わかりました」
 清水は興味津々とばかりに目を輝かせた。
 関口は佐々木の車への細工、南条が殺されたときのようす、唯一犯人と接している佐々木の車を盗んだ学生から刈谷が犯人に酷似しているとの証言を得ていることなどなど、事件のあらましを話して聞かせた。
「そうでしたか。でも、人殺しまでするような人には見えなかったですけどねえ」
「部屋の中にはほかになにかおいてませんでしたか?」
「ふとんが敷き放しになっていて、段ボール箱が三つ四つおいてありましたねえ」
「工具類とか、エレクトロニクス関係の書物とか装置、部品のようなものはおいてありませんでしたか?」
「さあ、箱の中に入っていた可能性はありますが、中までいちいち見てるわけではありませんからねえ」
「アンテナは三階の屋上に建てたんでしたね? どんな型のアンテナですか」
「三段式のグランドプレーンですよ。あの場所であの高さでしたら、新潟市内は全部カバーできるでしょうね」
「実際運用してたトランシーバーはそのケンウッドのものなんですかね?」
「さあ、そこまではわかりませんがアンテナを建てたときも下ろしたときも、部屋においてあったのはそのトランシーバーだけでしたから当然そうだと思いますけどね」
「ふーむ、だとするとVOX回路を使用したときのアタマが切れてしまう現象はどうして起きたかだなあ?」
 それまで黙って聞いていた萩野がおもむろに言う。
「ほかのトランシーバーももってるんじゃないですか?」
 すると関口と清水の二人は一瞬間をおいた後、「アハハハ」と大声で笑った。
「よし、刈谷の車を調べにいくのは明日にするとしてアルコールラグチュウといこうや」
 関口は親指で、“ナイトブレイク”の方向を指差した。