11 アリバイ工作の解明  その2

 その日は深夜一時過ぎの看板まで飲み、三人ともよたつく足で萩野のマンションに引き上げた。ファンヒーターを焚いてコタツに足を突っこみ、ゴロ寝を決めこんで目が覚めたときには清水の姿はなくなっていた。書き置きに「昼から仕事があるので先に失礼します」とだけ記されてあった。
 関口がコタツふとんにくるまったまま寝惚け眼で、
「ハギさん、きょうの仕事は午後まで空いてるんだったね。刈谷が車に別の無線機を積んでいる可能性もあるから一応チェックだけはしておこうと思うんだ。午前中、刈谷の会社まで付き合ってくれないかい」
 と言うので気がすすみはしなかったが、直接自分の目で確かめたい好奇心もあっていっしょにいってみることにした。隣りの喫茶店でモーニングサービスを済ませ車を走らせたときには、時計は既に十時を回っていた。途中本屋に寄って毎月読んでいる“モービルハム”と、たまに気が向くと読んでいる無線雑誌の二冊を買いこんだ。
 東日本電機の近くにきてからはできるだけ社員連中とは会わないようにして、工場裏手にある従業員用駐車場に入りこんだ。
「さてと、白のハッチバックと。あ、あれじゃないですか」
「どれどれ」
 関口は手帳を開いて、チェックしてあるナンバーと見比べる。「うん、まちがいないね。横につけてくれるかい」
 屋根の真上にはマグネット式の基台に、四分の一波長と思われるホイップアンテナが取り付けてある。助手席には正面パネルを運転席側に向けて、八重洲無線の144と430メガが出せるFT−736がどっかとおいてあり、同軸ケーブルは助手席の窓を通してアンテナにつないであった。
「この機種ならVOXは付いてますね。ダッシュボードに取り付けないで、いつもシートにおいたままなんですかね?」
 関口が助手席から覗きこむようにして見る。
「大き過ぎてダッシュボードの下には収まらないのかもね。それにしてもケーブルの張り方とか、電源コードをシガレットライターからとっているのは技術者とは思えない雑なやり方だなあ。彼はタバコを吸うからシガレットライターが使えなかったら不便だと思うんだけどなあ」
「モービルでの運用は始めたばかりなんじゃないですか。高階さんが、アンテナはFM用かもしれないって言ってたくらいですからねえ」
「だいぶ年期の入った機械のようだから、中古で買ったものなんだろうなあ」
「はあ? どうしてそんなことがわかるんですか」
「局免許をとって一年にもならない奴が、こんな古いトランシーバーをもっているわけがないよ」
「ああ。でも、ハムになる前から機械だけは買っていたのかもしれませんよ」
「そうだね」
 と、関口はあっさりした言葉で言うと車を降り、助手席側の窓に顔をピッタリ張り付けた。そしてトランシーバーの裏側にあるステッカーに目を皿のようにして見入り、そこに記されてあるアルファベットと数字の羅列を写しとった。

FT-736X

「製造ナンバーですか?」
「ああ、買った時期とか店が判明すればなにかわかるかもしれないからね。もっとも、メーカーとかハムショップに購買者の記録があればだけどね。あれ?」
 関口は首を傾げると、前部の車体を撫で回すように触った。
「どうかしたんですか?」
「いや、ボディがまだ熱いからさ。もう昼だろう、この寒さなんだからとっくに冷えてていいはずじゃないか」
「じゃ、仕事でどっかに乗ってきたんでしょう」
 関口は言葉もなく苦笑いで応じた。さらに車全体をじろじろ見ていると、社員らしい女性がこちらを見やってくるので二人は早々にその場を引き上げた。
 ファミリーレストランの前を通りかかると関口が電話をかけたいと言うので車を入れ、少々早いが昼食もとることにした。
 ランチセットが運ばれてきて、のんびり食べてだいたいかたずけ終わったところで関口を呼ぶ店内放送が鳴り響く。『お客様の関口様、関口様、お電話が入っております。電話ボックスまでお越しください』
 話し口調は男だが、声はどちからといえば女のような甲高い音質だった。
「ハギさん、どうかしたかい?」
 天井のスピーカーをしげしげと見上げた萩野を見て、関口が怪訝な顔で訊いた。
「いや、どこかで聞いた感じがするものですからねえ。あ、関口さんですよ」
「わかってるよ。さてと、吉と出るか凶と出るか」
 心なしか緊張して立っていく関口を目で追っていると、すぐさま電話ボックスの中からニッコリして指で円をつくるのだった。
 もどってきてからも頬を紅潮させて話す。
「予想以上の成果が出たよ。練馬に住んでる人が五年前に秋葉原の店で買ってるよ。いまはリタイヤしてるとかで、すぐに連絡がとれたらしい。トランシーバーは一ヶ月前に杉並の中古の無線機を扱う電器店に売ったんだそうだ。しかもその電器店にはきょうの午前中、つい先ほど刈谷らしき人物がそれを買っていってるんだよ。いやあ、驚いたね」
 いつも冷静な関口にはめずらしく、コーヒーカップを持つ手がかすかに震えている。
「それじゃ、車のボディが熱かったのはまだ出勤してきたばかりだったんですね。しかし、どうして慌てて買う必要があったんですかね?」
「ふむ、いい質問だね。昨日、俺がどんなトランシーバーを使ってるのかを尋ねたせいかな?」
「そのときに音声の最初が切れてしまっていることも尋ねたわけですか?」
「いや、言ってはいないけど機種を訊かれたことでそのことを察知したんじゃないかな」
「そうなると刈谷さん自身は、VOXを使ってもいないのにアタマ切れを起こしているというのを承知していたことになりますね。どういうことでしょうか?」
「うーむ、これまたいい質問だね。きょうは冴えてるじゃない」
 関口は照れ隠しに苦笑いを浮かべたが、すぐに緩んだ筋肉を消して考えこんでしまった。
 こういうときはそっとしておくに限る。萩野はもってきた無線雑誌を見るのに、なるべく関口の小むずかしい顔は視界に入れたくなかったので、小学生が教科書を読むときのように本を立てにして読んだ。
「ハギさん、それだよ!」
 突然、関口が本を指差しながら叫んだ。
「もうちょっと小声でお願いしますよ。みんなが見てますよ」
 関口は聞く耳なく、萩野から雑誌を奪い取った。
「これを使ってたんだよ。だから、バレないようにVOX回路が付いてるトランシーバーを用意する必要があったんだよ」
 興奮してしゃべりながら、関口の目は雑誌の裏表紙に釘付けになっている。そこには一面に中小規模の無線機メーカーの広告が載っていた。
「フォーンパッチですか。電話回線と無線機を直結して遠隔操作で電波を出したりできる機械!?」
「そうさ。きっと刈谷はアリバイ工作のために東京から電話を使って新潟の局と交信してたんだよ。どこまでずる賢い奴なんだ」
「そういう方法がありましたか。まったく想像もできませんでしたね。じゃ、家宅捜索をやりますか?」
「いや、まだ状況証拠だけだからね。フォーンパッチの運用は日本の法律では認められていないんだから、方々で造ってるわけじゃないだろう。売るにしてもこういった通信販売か不法行為を承知の上でハイパワーの機械なんかを売っている無線機屋に限られるだろうから、ローラー作戦でしらみつぶしに当たっていくよ。刈谷が買ったのを確認できればアリバイをつぶせるさ。こういった広告を載せているのはこの手の裏街道をいく無線雑誌だろうね?」
「だと思いますよ。メジャーな無線雑誌ではほとんど見かけませんからね」

本屋

「ふむ、何種類もあるものなのかい?」
「せいぜい二、三誌だと思います。メーカーをすべてチェックするつもりなんですね」
「ああ、帰りにもう一度さっきの本屋に寄ろう。さあ、忙しくなるぞ。すみません、お冷やを」
 水を飲もうとしてなくなっているのに気づき、関口は横を通ったウェイトレスに言った。
「はい、ちょっとお待ちください」
 という声に、萩野はスピーカーから流れた電話呼び出しのことを思い出して尋ねる。
「さっきの放送は、あなたがやったんですか?」
「いいえ、主任です」
 ウェイトレスはにっこり微笑み、レジにいる蝶ネクタイ姿の男を見る。「アンプが故障してて、男の人の声でも女の声みたいになっちゃうんです」
「はは、まるでボイスチェンジャーだね」
「あ、それだ!」
 今度は萩野が関口を指差し猪突な声で言った。ウェイトレスがびっくりして水差しの中味をまき散らしてしまった。
「おいおい、ハギさんまでよしてくれよ。すみませんね、どうも」
 関口がウェイトレスに謝り、周りを見渡して頭を下げ下げしながら言った。
「ほら以前、佐々木さんが事故ったとき相手の局の声がどこかキーが高くて合成音みたいな響きがしたって言ったでしょう。ひょっとしたらボイスチェンジャーを使ってたんじゃないですか?」
「ふむ、ありえない話じゃないな。いや、とういうより充分あることだよ。佐々木さんとは同僚なんだから、すぐ声で刈谷であることがバレてしまう。そこで適当なコールサインでボイスチェンジャーを使って声を変え、赤の他人に成りすまして事故を誘う」
「それじゃ、共犯説は消えて刈谷さんの単独犯ということになりますか?」
「いまの段階でそこまで断定するのは危険だが、これだけ電子技術的に手の混んだことをやるのだったら、むしろ刈谷単独の方がやりやすいかもしれないね」
「この本にはボイスチェンジャーの広告も載ってるんですよ」
 萩野はページを捲って、その広告が載っている個所を見せた。
「ふーん、数万円も出せば買えるものなんだ。そういえば美圭ちゃんも持ってたなあ」」
 関口は苦笑しながら広告に見入った。
「でも刈谷さんが犯人としたら、あれだけの電子回路を自作するだけの能力をもってるわけですから全部自分で作ってるかもしれませんね」
「可能性としては否定できないけど、会社の仕事もこなしている中で回路設計や組み立てまでやるわけだからね。なにもかも自分で作ってたら時間と労力は遣うし、金もよけいにかかるにきまってるんだから、目的とする器械が市販されているのであれば当然それを使うさ」
 極めて説得力のある解説だった。