12 捜査会議の結論  その1

 事務所にもどると、インスタントで燗ができる缶酒をぐいっとやる。萩野はどちらかといえば洋酒党だが、寒いときには熱い日本酒をキュッーと五臓六腑に染み渡らせてやるのが好きだ。
「ふっー」
 と、ひと息をつくと、留守番電話機の緑色のイルミネーションランプが点っているのが目に入った。
『俺だよ。どうやら事件が解決しそうなんだ、一杯飲もうや。これからそっちに寄るけどいなかったら例のところにいってるから、あとからでもきてくれや。[火曜日、午後九時十二分]』
 生き生きとした関口の声だった。テープが自動で巻戻しにかかると、次には電子ホンが鳴る。
「はい、猫の手サービス」
『トランシーバーのスイッチ入れてないでしょう』
 きんきら声で怒鳴ってきたのは、美圭だった。
「ああ、だっていま帰ったばかりだからさ」
『そんなこと言って。まじめにやってよね。わたしは部屋に入ると、なにはともあれスイッチを入れてるのよ』
「ああ、わかったわかった。まだひと仕事があるから」
 と言って受話器をおこうかとしたとき、関口からの留守電を思い出した。「さっき関口さんからの伝言で犯人がわかったらしいぞ。あとでこっちにくるってさ。なんだったら美圭もこないか」
『ほんと! じゃ、これから迎えにきてよ』
「酒が入ってしまってるから運転はだめだよ。タクシーにでも乗ってこいよ」
『わかった』
 と、ふてくされて言ったきり電話は乱暴に切れた。
 体がぽおっーとしてきたところで今度は缶ビールにうつつをぬかしていると、ガラス戸が荒っぽく開き、しかめっ面をした美圭が入ってきた。
「冷たいのね。この前ね、会社の高階さんが見えてお線香をあげていってくれたの。帰りがけになんて言ってたと思う?」
「知るわけないだろう」
 萩野がぶっきらぼうに言うと、美圭はそれまでの表情とは一変させてニッコリする。
「大学に合格したら気分変えに一度ドライブにでもいきませんか、だって。わたしが推薦で決まったこと知らないのね。よっぽどそのことを話して、いつでもいいですよって言おうと思ったんだけど、やめといた!」
 最後のひと言は、萩野の耳元で叫ぶようにして言うのだった。
 相手にしないで手帳のスケジュール表に見入っていると、美圭はそれまでの興奮したようすとは別人になったかのように、大きな溜息をついて腰を下ろした。
「どうした、犯人がわかってうれしくないのか?」
「そんなことはないけど、犯人が捕まったからといってお父さんが帰ってくるわけじゃないでしょう」
 美圭は萩野に向き直り、顔を埋めるようにして腕にしがみついた。
 髪を撫でてやっていると事務所の前に車が止まった。萩野は美圭を静かに抱き起こした。
「おっと、お邪魔だったかな?」
 関口も既に酒が入っているのか、頬をほんのり赤らめていた。
「いえいえ、美圭も犯人のことを聞きたいというものですからね」
 美圭が髪を整え、くったくのない笑顔で言う。
「しばらくぶりの捜査会議ね」
「そうだね。実はきょう香川県の観音寺市までいってきたんだけどね。そこの社員が十数人ほどの通信機器の会社にいってきて、刈谷がそこから通信販売でフォーンパッチとボイスチェンジャーを買っているのを突き止めたよ」
 関口は握りこぶしをつくって言った。
「それじゃ、犯人は刈谷さんに断定したんですね」
「ほぼね。ただ、現時点でわかっているのはアリバイ工作をしたということだけで、直接殺しをやったという証拠はまだ見付かってないんだ。だから、とりあえず逮捕状はとらずに明日いちばんで重要参考人として任意同行を求める予定さ」
 美圭が興味深げに訊く。
「任意というからにはいやだったらいかなくてもいいわけでしょう。断ったらどうなるんですか?」
「そのときこそ逮捕状を執行することになるね。その容疑内容は殺人にする必要はないからね。フォーンパッチを購入して、それを使ったらしいことがQSO相手から証言を得ているわけだから電波法違反で充分さ。一度逮捕してしまえばあとはどうにでもなるからね」
「別件逮捕で、無理やりにでも認めさせようというわけですか」
 と言って萩野は、深い溜息とともに煙を吐き出した。
「上がきめることだから、ぺいぺいのいうことなんか聞く耳ないさ」
 関口もタバコを吸うと天井を見上げ、仕事場には似合わないサークライン式の蛍光灯に向かって煙を吐きつけた。
 重い沈黙と煙だけが支配する中、美圭が棚の方を見やりながら立ち上がった。
「ねえ、あのラジカセどうしたの? いままでなかったわよね」
「ああ、引っ越しを手伝ったときのもらいものさ。カセットは壊れてるけど、ラジオはなんともないんだ」
「得意なパターンね。整理ダンスも机ももらいものでしょう。電話機もそうだったかしら?」
「ばかいえ。壊れてもいない留守番電話機をくれる人なんかいないよ。上の蛍光灯も大家さんからもらったものだけどさ」
「うふ。犯人がわかっておめでたいはずなのに、なんか変ね。音楽でも聞きましょう。電源コードはどこにあるの?」
「電池が入ってるからそのままスイッチを入れればつくよ」
 美圭はラジカセを机の上にもってくると、ロッドアンテナを伸ばし切り換えレバーをFMに合わせた。すると、「ピー」という音がするのだ。
「なにかしら、これ? まるでオンボロトランシーバーが発振を起こしてるみたいね」
 だが故障しているわけではないようで、ダイヤルを回すとその音は消え、ラジオ放送の周波数に同調させれば雑音もなくきれいなクラシック音楽が流れてきた。
 じっーとラジカセを食い入るように見つめていた関口がふいに立ち上がり、吸っていたタバコを床に叩きつけるとラジカセを美圭から引ったくるようにして手元に寄せた。そして同調ツマミをぐるぐる回し、FM放送の周波数帯を上から下までなにやら検索するのだ。わかったことは、その耳障りな発振音がFM放送周波数帯の下限である76メガのすぐ下のところで出ていることだった。
「あー、あー、本日は晴天なり」
 関口が大声でそう言うと、スピーカーからもその声らしきものが流れた。萩野と美圭はただ呆気にとられて見守るばかりだった。
 関口の物の怪にでも取りつかれたかのような奇妙な行動はなおも続く。
 ダイヤルをそこに合わせたまま、ラジカセを電話機に寄り添うようにくっつけてみたり、さらに靴を履いたまま机に上がったかと思うと蛍光灯に近づける。果てはラジカセを抱えるようにしながら壁伝いをきょろきょろ見渡して歩く。整理ダンスの下のあたりにラジカセを近づけると、ピー音は一段と大きくなった。

蛍光灯とラジカセ

「ハギさん、この裏にコンセントはあるかい?」
「ええ、ありますけど。あっ、落ちる」
 萩野がしゃべり終わらないうちから、関口は整理ダンスを力づくで手前に動かした。棚の上においてあった、これまた社名にちなんだもらいものの猫の置物がガタガタいって落ちそうになる。萩野は慌てて押さえた。
「あった!」
 整理ダンスの後ろ側に入りこんだ関口が叫んだ。二人も覗きこむと、壁のコンセントに普通よりはかなり大きめの三つ叉ソケットが差しこまれてあった。関口がポケットから取り出したハンカチでソケットをそっと包むようにして引っこ抜くと、同時にラジカセから流れていたピー音は切れた。
「ハギさんがつけたのかい?」
 関口が萩野の前に差し出すようにして訊いた。
「いいえ、初めて見ますよ」
「だろうね、これは盗聴器さ。ここでの話し声は全部FM電波にのって外に筒抜けってわけだよ。いまの発振音は、盗聴器とラジオのあいだで音声入力と電波がぐるぐる廻って起きるハウリングさ」
「ええ! 誰がそんなことを?」
「刈谷にきまってるよ」
 関口はガラス戸を開け外に出ると、刑事の目になって通りを見渡した。「ちくしょう、どこなんだ。盗聴器の電波はせいぜい数百メーターぐらいしか飛ばないから、きっとその辺に車を停めてか、近くのマンションかアパートの部屋の中ででも聞いてるはずだよ」
「そうでしたか。考えてみればほとんど鍵はかけてませんから、仕掛けていこうと思えばいつでもやれるんですよねえ」
 美圭が心配そうに萩野を見つめながら言う。
「そんなことまでしていったい何が目的なのかしら。まさか研二さんを?」
「冗談じゃない。ひと頃までかばってやってたくらいなんだから恨まれる覚えなんかないよ」
「そうじゃないさ。こちらの手の内を読もうというわけさ。とにかく手遅れだろうとは思うけど、このあたり一帯をくまなく捜索しよう。電話を借りるよ」
 そう言って関口が受話器をとろうとすると、「プルルルン」と電子ホンが鳴った。代わって萩野が受話器をとる。
「猫の手サービスです。はい、私ですが。ええと、カリヤさん!? あっ、東日本電機の刈谷さんですか?」
「ハギさん、かしてくれ」
 萩野が返事をする間もなく、関口は一方的に受話器をとった。「刈谷、俺だ。関口だよ。いま、どこにいる? どっちみち逃げられっこないぞ」
 関口が怒鳴っている横から萩野が小声でつぶやく。
「スピーカーホンに切り換えますよ」
 スピーカーのマークが書かれたボタンをポンと押すと、ついでに“通話録音”のボタンも押した。
『そんな気はこれっぽっちもありません。だいたいにして、逃げるつもりだったらこんな電話は入れてませんよ。ただ、ひととおりのことはお話しておこうと思いましてね』
「それならここにこいよ。どうせ近くにいるんだろう。いろいろ聞きたいこともあるから、じっくり話そうじゃないか」
『いや、全然違う場所にいますし、いまさら合わす顔もありませんからそれはごめんこうむります。盗聴器の電波の受信はそこから三軒隣りのアパートの二階に50メガのホイップアンテナをあげてやっています。FMラジオと改造した留守番電話機をジョイントさせて有線につないだ上でこちらで受けてまして、そこで聞いてたわけじゃありません』
 萩野は急いで外に出る。そのアパートを目を凝らして眺めると、確かに二階の一画の窓の格子に、通りの灯りにかすかに浮かび出されたアンテナが見えるのだった。
「手の混んだことをやってくれるな。こちらの捜査状況は手にとるようにわかっていたのか?」
『手にとるようにとまではいきませんが、そこにいる三人の会話と萩野さんの電話での話とからおよそのところはわかってます。それとひとつお断りしておきたいのですが、逆探知をなさるのはそちらの自由ですが、車の中から携帯電話を使って話をしてますから徒労に終わると思いますのでお止めになっておいた方がよろしいかと思います』
「フン、犯人の指図は受けないよ」
 萩野はメモ用紙に、「しますか?」と走り書きをして外から電話をする真似をしたが、意外にも関口は首を横に振った。
「盗聴器はいつ仕掛けたんだ?」
『葬式が終わって三週間くらいたってから、佐々木君のところに線香をあげに寄ったんですが、その帰り萩野さんのところにも寄りましてね。いったときは不在だったものですから誰にも邪魔されず、しっかりテストまでやって取り付けることができましたよ。そのあとで萩野さんがもどってきましたけどね』
 関口がちらっと見るのを萩野は、ああ、という顔で応じた。
「はじめからなにかも計画的にやったんだな?」
『いや、殺しの方はともかくとして盗聴はやるつもりはありませんでした。葬式のとき美圭ちゃんが、殺されたってつぶやくのを聞いたものですから、ギョッとしましてね。正確な情報を得るのは盗聴がてっとり早いと思いまして、盗聴器を仕掛けるつもりで線香をあげにいったわけです。ところがひとりになる機会がなくて、うまくいかなかったものですからね。それならと、萩野さんは美圭ちゃんとだいぶ親しく話してましたし、名刺ももらってましたから帰りに寄って取り付けていったわけです』
「なんてことを。よくも裏切ってくれましたね」
 腹立ちまぎれに萩野が言った。
『萩野さんにはいろいろかばってもらったのに、なんと言ってお詫びをしていいのか』
 萩野は力いっぱい両手で机を叩くと、全力疾走でもしてきたかのように疲れ果てたようすで椅子にもたれかかった。