12 捜査会議の結論  その2

「羽賀君のことはどうなんだい?」
『太田区の学生さんのことですね。あの二週間ほど前から暇を見つけては佐々木君の車を少しのあいだだけ預かるつもりで会社の駐車場とか、後をつけ廻してチャンスを狙っていたんですがなかなかうまくいきませんでね。あの日やっとコンビニの前でチャンス到来と思って車を降りたら、彼が先に車に乗りこんでしまったものですから一時は焦りました。そのあとを追いかけて、一世一代のハッタリをかましてやったというわけです』
「古いトランシーバーに自作のトーンエンコーダーが組みこまれていたのは知らなかったんだな?」
『ええ。羽賀君が自分で自分の首を締めるようなことはしない、という確信はありましたが、まさかあんなものから彼が捕まるとは思ってもみませんでした』
「佐々木さんの事故は、すべて筋書どおりにことが運んだということかい?」
『というより、それ以上でした。信じてもらえないでしょうが殺すつもりまではなかったんです。前の車に追突してほどほどの怪我をしてくれれば、それで気が済んだんです。私が作った速度データ出力回路を分析したようですからわかるでしょうが、52の三つめの周波数を受信した瞬間に、アクセルを踏みこんだのと同じ状態になるようになっていますから、事故をどんな状況に起こすのか私の意思で的確に指示できるものではないんです。ですから、あの交差点で向い側から走ってきたトラックと正面衝突したのは、いわば偶然なんです』
「警察や裁判所でそんな言い訳は通用しないぞ」
『わかってます。人殺しをやったという事実から逃げるつもりは毛頭ありません』
「ふん、殊勝なことだな。そこのところで一つ疑問があるんだが、あんたほどの電子知識をもっている者なら、外からのラジコン操作で自由自在に操るようなつくりにはできなかったのかい?」
『いや、そのつもりで作ったのがそうならなかっただけのことなんです。当初の予定では佐々木君に気づかれないように、夜暗くなってからすぐ後ろにつけて52の三つの電波を出して回路を作動させるつもりだったんですが、実験してみると電波が車体にシールドされてしまって思うように働かなかったんです。必要以上に感度を上げてしまうと誤動作する恐れがあったものですから、それでボイスチェンジャーを使って佐々木君自身に電波を発信させる方法を思いついたわけです。装置のすぐ上にあるトランシーバーから出された電波ならまちがいなく作動しますからね』
「なるほど。 事故のあとはどうしたんだい?」
『そちらの推察どおりですよ。途中の公衆電話から新潟のマンションに電話を入れ、DTMFでフォーンパッチを操作して新潟市内の局と交信したわけです。念には念を入れてのアリバイ工作だったんですけどね』
「必ずしも事故に見せかけきれるとは思っていなかったわけだな。南条の存在に気付いたのはいつごろだい?」
『南条が直接私のマンションにやってきて、脅しにきてからのことです。私ひとりだけしか知らないことがどこからバレたのか、不思議に思っていたのですが、そちらの会話を通して事実関係を知ることができました』
「警察に通報されたくなければ金を出せ、というわけかい?」
『そうです。本人も仕掛けの詳しいことについてはわかっていなかったようですが、事件後二週間ほどしてから私と佐々木君が同じ会社に勤めていることなどを調べあげて、二千万円を出せと言ってきました』
「で、どうしたんだい?」
『断るわけにはいきませんよ。というのも、佐々木君の車からは証拠を残さないために取り付けた装置は外すつもりでいたのですが、事故車を駒沢署の駐車場においてあったのは見ていたのですが、それ以後どこへもっていったのかわからなくなってしまったのです。自宅にはもどってきてませんでしたし、みなさんの会話からもはっきりした場所はわかりませんでした。あくまで事故として処理されているようでしたし、もういいだろうと思っているうちに南条が現れたのです。あらためて車を調べられてあの装置が見つかってしまえば、万事休すですからね』
「それで思いあまって殺ってしまったということか」
『いいえ、その時点ではそうじゃありません。これ一回きりで目をつぶってやると言うので、マンションを担保に入れて金をつくり渡しました。それでおとなしくしてくれれば、二回めの殺人は起こさなくて済んだのです』
「さらに要求があったわけだ」
『一ヶ月ほどしてから、あらたに金の入り用ができて一千万用意してくれと言うんです。上場会社の設計部長ならかなりの収入があると思ったんでしょうね。残念ながらうちは安給料なんです。一回めの分も銀行から借りたのだけでは足りなくてサラ金からも借りてるんです。とてもそれ以上は無理でしたし、ましてやそれで終わるという保障もありません。それなら答えは一つでした』
「あの多摩川べりの住宅街を選んだのは、なにか理由があってのことかい?」
『まあ、あのあたりはよく知ってますし、南条が府中競馬や多摩川競艇によく通っているというのは聞いてましたからね。一度めにすんなり金を渡してますし、私はこんなもやしみたいな体つきで彼はがっしりしてますからね。そんな意味からの油断もあったんでしょう。車に乗りこんでバッグを渡し、それに気をとられた一瞬に柳葉包丁で胸をブスッ、ですよ。ちなみに私は左利きなんです』
「そのあとすぐに逃げたってわけかい?」
『ええ、苦しみながらも掴みかかってきましたからね。しばらくしてまた車にもどったら、そのときには彼は事切れてましたが、マイクを握っていたのには驚きましたね。とにかく証拠になるようなものは全部持ち出して慌てて逃げました。無線で誰かに通報したのではと考えると、数日間気がかりで夜も満足に眠れなかったのですが、警察がくることもなかったのでそれはなかったんだと安心しました』
 萩野はひとり首を、うんうんと振った。
「そのとき車から鍵の束も持ち出さなかったかい?」
『そのとおりです、さすがですね。あのあと南条のアパートまでいって家捜しをしたわけです。その途中、やはり新潟のマンションに電話を入れて佐々木君のときと同じように新潟市内の局と交信しました』
「ふむ、中古のトランシーバーを急きょ買ったというのは?」
『そりゃ、二人の話を聞いて急いで帳尻を合わせようとしたからです。フォーンパッチを使ってのことですから会話の最初が切れてしまうのは承知してましたが、それがアリバイを崩す決め手になるとは思ってもみませんでした。ただ、会社の駐車場で二人が私の車をじろじろ見入っているのを見たときはヤブヘビだったなあと思いましたけどね、ハハ』
「ああ、あれを見られていたのか」
 関口と萩野も溜息混じりに苦笑するしかなかった。
『それから私の名誉のために一つだけまちがいを指摘しておきたいのですが、関口さんは以前、私が設計部長になりたいがために佐々木君を殺したというようなことをおっしゃってましたね?』
「違うとでもいうのかい?」
『違いますね。私は新潟の関連会社に出向する身だったんですよ。それが佐々木君がいなくなったからといって、製造部課長の私が設計部長になるなんてことは考えられないことですよ。社内の誰もが不思議に思った人事だったんじゃないですか。まったく社長の気まぐれには呆れますよ』
「迷惑そうな言い方だな?」
『まあ、うれしいことはうれしかったのですが、結果的には部長になりたいがためという解釈が疑いをかけられる要素の一つになってしまったわけですからね』
「うむ。それで、いまはどこにいるんだい?」
『話が長くなってしまいましたね。逆探知してるのならそろそろわかってしまう時間でしょうね。このへんで失敬しますよ』

富士山
富士山

 それまでうつむいたまま黙って聞いていた美圭が、突然立ち上がって叫んだ。
「待って! 一つだけ訊きたいことがあるの」
『ああ、美圭ちゃん。あなたとお母さんにだけはほんとうに申し訳ないと思っています。謝って済むことではありませんが』
「どうしてそれほどまでにお父さんを憎んだんですか?」
『はあ、これは弱りましたね。確かに佐々木君から直接どうこうされたなんてことは一度たりともないんです。その意味では逆怨みもはなはだしいのかもしれません』
「どういうことですか。わかるように説明してください」
『佐々木君と私とは同い年なんですが、彼が入社してきたのは私が高卒で入社して十年めのときでしたから二十七、八のときだったと思います。私と同じ設計部に配属になって、数年がたってから私は第一設計課の課長になりましたが、それからさらに数年が経過して私は製造部の課長に配転になったのです。そして私の後釜にすわったのが佐々木君でした。設計一筋でやってきた私にとってこの人事は、人がどう思うかはわかりませんが、十年もあとから入ってきた後輩に設計課長の座をとられたという屈辱感でいっぱいでした。けれども彼は若い連中からは信望がありましたし、私はというと偏屈の塊みたいな人間ですし、なによりも彼は大卒でした。世の中こんなものだろうと思って諦めてましたが、去年、私が下請工場に出向が決まったあとに、なんと佐々木君が技術担当の取締役になるということを耳にしたのです』
「だからといって人を殺していい理由にはならないでしょう」
 我慢できずに萩野が言った。
『もっともなことです。でも、設計技術者としては決してうぬぼれじゃなくて彼より劣っているとは思いませんでしたから、このときばかりは学歴社会のいやらしさをとくと見せつけられた思いがしました。所帯ももたずにコツコツやってきたこれまでの自分はいったいなんだったのか、あれやこれや考えてるうちに俗にいう、プッツンしてしまったんです』
「ばかげてます。そんな理由で殺人行為が行われるのなら、あちこちで死体の山ができてますよ。関口さんだって四十を過ぎても独身で平刑事で、キャリア組の若い署長を相手にへいへい言いながら仕事をやってるんですよ。だいたいにしてそんなに愛想をつかした会社なら、あなたの方から辞表を叩きつけてやればいいじゃないですか。僕だってサラリーマンが勤まらなくて、いまはこういう商売をしてるんですよ」
 関口は苦笑いを浮かべながら頭をかいている。
『うらやましいですね。それは何度も考えたんですが、私は根っからの技術バカです。ましてやこの年ですから、とてもとても転職なんて。とにかくそういうことで、ちょっと懲らしめてやれ、ということで計画したのです。それがああいうことになって。ほんとにすみませんでした。この償いは・・』
 刈谷は唾を飲みこむようにして言葉を切った。それまで必死にこらえていた美圭が、机に屈伏すると鳴咽を洩らして泣いた。
 真顔にもどった関口が言う。
「刈谷、死ぬつもりなのか?」
『・・・・・・』
「二人も殺したおまえに、自分で死ぬ資格なんてないぞ」
『わかってます。法律はほとんど知らなかったのですが、最近素人向けの本を何冊か買いこんで勉強してみたんです。最高裁判例では一人殺しただけでは死刑にならなくて、二人以上殺すと死刑の対象になるんだそうですね。ましてや私の場合は完全な計画的殺人です。これでは死刑判決の出る可能性が高いですし、よくて無期懲役でしょう』
「まあ、妥当な線・・」
 ふと思い直して言葉を継ぐ。「いやいや、佐々木さんは殺すつもりはなかったわけだから情状酌量の余地はあるさ」
『いいえ、この後に及んで命乞いをするつもりはありません』
「申し訳ないという気持ちがほんとうなら、法廷の場ですべてを証言すべきじゃないのか」
『私はどうしようもない小心者です。生き恥を晒す勇気はありません。それじゃ』
 それきり電話は切れた。あとには『ツー、ツー、ツー』という、虚しい話中音だけが響く。三人は声もなくそれぞれの格好で聞き入った。しばらくして萩野が思い出したように手を伸ばしてスイッチを切り、テープを取り出して関口の前においた。
「これ、あった方がいいでしょう」
「ああ。しかし、これで外部の人間に捜査上の秘密を洩らしていたのがバレてしまうなあ。まちがいなくこれもんだよ」
 関口は笑いながら手刀で自分の首を切る仕草をして見せた。
 机に伏せたままの美圭を気にかけながら小さな声で言う。
「署に連絡しなくていいんですか。逮捕になるのか保護になるのか知りませんが、とにかく身柄を確保する必要があるんじゃないんですか」
「ああ。でも、どこにいるんだか見当もつかないからなあ」
 もうひとつ気乗りしないようすで、関口は天井を仰ぎながらそう言った。すると美圭がガバッと顔をあげ、関口に詰め寄るように言うのだ。
「今回の事件でこれ以上の死人が出るのは、もうたくさんだわ。警察ならいろいろ捜しようがあるんでしょう。早く電話してあげてください」
「美圭ちゃん」
 関口はまじまじと美圭の瞳に見入ったが、美圭は瞬きすることもなく、きっとしていた。それに圧倒されたかのように関口がすごすご受話器を手にしたが、プッシュボタンを押そうとした手を休めて美圭に向かって言う。
「ママさんにも報告してあげないといけないし。どうだ、今夜はめいっぱい飲まないか。好きなだけ酔っ払っていいぞ」
 美圭はその瞳を萩野に向ける。萩野が「ふっ」と、吐息とも笑みともつかぬ頬の筋肉の緩みを見せると、満面の笑顔で言った。
「よおし、退学になったっていいわ。ぐでんぐでんになってやるぞおー」

完