7 被害者の女  その2

「ほかにもなにか?」
「いえ、友達というわけじゃないんですが、九月中旬にそこの交差点で車どおしの衝突事故が起きたんです。そのとき南条さんの車の横をアンテナを付けた車が通り過ぎていったんですが、それをじっと見てたものですから、知り合いの人?って訊いたことがあるんです」
「もしかして、九月の十八日じゃないですか?」
 関口がママの袂を掴んで訊く。萩野もいつのまにか身を乗り出していた。
「えっ、ええ。日にちまでははっきり覚えてませんが大事なことなんですか?」
 ママはびっくりして上半身を後ろに退きながら言った。
「失礼、亡くなった方は私たちの知り合いで佐々木さんというやはりハムの方なんですが、あれは事故ではなく意図的に仕組まれた殺人事件なんです」
「えっー、そうだったんですか。それじゃ、南条が殺されたことともなにか関係があるんですか?」
「いまの段階ではなんとも」
「正確な日付までは」
 ママは米噛に指をあて表情を歪めた。「ああ、そうだわ。お恥ずかしいことなんですが、お給料の前借りをして南条に渡したときですから給料の明細を見ればわかると思います」
「は? ママさんが前借りですか」
 するとママは苦笑しながら言う。
「私は雇われママでオーナーは別にいるんです」
「そうでしたか。ぶつかった車というのはグレーの乗用車とトラックですね?」
「ええと、確かそうだったと思います」
「なら、まちがいありません。それで、南条さんはその車の方を知り合いだと言ったわけですか?」
「いえ、関係ないって言ってました。私がお金の入った封筒を差し出したら、ひったくるようにしてその車のナンバーを封筒にメモしてました」
「そのナンバーを覚えてませんか?」
「いいえ、とてもそこまでは」
 ママはいかにも気の毒そうに首を振った。「南条はそのあとすぐに車を出て事故を見にいってしまいましたしが、私は怖くて近づけませんでしたし、お店の準備もありましたのでここにもどってきましたから」
「ふっー、惜しいなあ。アッ!」
 一度ソファに背をもたれた関口は、また身を乗り出して唾を飛ばして叫んだ。「その横を通り過ぎていったという車、白い車体のライトバンじゃなかったですか?」
「ええ、白い色はしてましたけど、ライトバンというのは後ろから荷物を積めるタイプのものですか?」
「そうです」
 するとママは小首をひねりながら、
「いえ、普通の乗用車のようだったと思うんですけど」
 その質問の意味は萩野にもすぐピンとくるものがあった。
「佐々木さんが車を盗まれたとき、美圭が見た車と同じ車じゃないかと思ってるんですね」
「ああ、でも色は同じでも車種が違うなあ」
「なにかしらお役に立てたみたいですね。なんでも訊いてください。南条を殺した犯人を見つけるためだったらどんなことでも協力しますから」
 にっこり話しかけるママの言葉に、関口も満更でもないようすでにこやかに応えた。
「よおっ、あれ一番じゃなかったか」
 ドアが開いて、中年の男が入ってきた。
「あら、いらっしゃいませ。ちょっとすみません」
 ママはその客を案内するに席を立っていった。
「ハギさん、これまでのママさんの話、どう思うね?」
 関口の悪いくせで、いつも先に萩野に言わせようとする。人に言わせておいて、あとからもっともらしく解説を加えていくのが関口の話法だった。
「白いバンの男、クサくないですか」
「もちろんそうだし、なによりも佐々木さんの事件と稲城の事件とがぴったりドッキングしたじゃないか」
「それはいえますね。それだけでもここにきた甲斐がありましたね。南条さんが偶然事故現場に居合せて、そこに犯人らしき男もいた。なにかを感じとった南条さんは男の身元や佐々木さんの身元を洗って、男のよからぬ企みに気づき恐喝した。ところが犯人から逆襲にあってしまった」
「うん、いい線いってるね。それとママさんが封筒を渡すと取り上げるようにして封筒にメモした、と言ってた。ということは、それまではメモするものはなかったことになる。まあ、書く気になれば手の平でもメモ用紙になるわけだけど、南条はそれをドアのビニールレザーにやったんだね」
「あ、そうか。それがビニールレザーに書かれた二つのコールサインってわけですか。ついでだから車のナンバーもいっしょに書いてといてくれれば、犯人はすぐにでも捕えられたかもしれませんね」
「ああ、まったくだよ。世の中、ちょっとしたことが別れ道になるね。たまたまだろうけど、後ろに駐車していた車のドライバーがマイクをとってQSOを始めたのを見てワッチしていたんだろう。ハギさんと同じようにQSYしたのを追いかけて聞いていたんだと思う。それでようすがおかしいのに気づいたんだ」
「でもさっきママさんは、そのときはアンテナは壊れていたと言いましたよ」
「そうだけども、車内にはビニール線をアンテナ代わりに垂らしていたとも言ったじゃないか。佐々木さんの車は246をどんどん近づいてきてるんだ。ましてや白のバンが南条さんの真後ろにいたとなりゃ、アンテナがなくたって入るさ。この前見た新しいアンテナは、その後必要があって取り付けたんだろう」
「真後ろですか・・。その推測はどうですかねえ。もしそうだとしたら、逆に犯人が気づいて車を移動させるなりしたんじゃないですかねえ?」
「真後ろじゃないとしても犯人がマイクを手にして、どんな表情でしゃべっていたかを認識できるような距離さ。それに相手からは南条さんのようすはわかりにくかったに違いないんだ。この前殺しの現場でスモークガラスをとくと見たんじゃなかったかい」
「ああ、そういえば」
 言われてみて、車内を見るのにガラスに顔をつけるようにして覗きこんだのを思い出した。
「いかがですか。なにか進展はありましたか?」
 ママが奥のカウンター席からもどってきた。

FT-8000

「ええ、大ありですよ。すみませんけど外で南条さんの車がどの辺に止まってたのか教えてください」
「はい、すぐお店の前なんですけど」
 三人は連れ立って外に出ると、店の前の歩道上に立った。
 店の前は環状七号線が246号線の下にもぐっていくのに伴い、それぞれの道路を走っている車が互いの道路に移っていくために長さ五十メートルほどの側道が環七に並行して通っている。本線は流れが早く駐車しづらいが側道はそれほどでもなく、また道幅に多少の余裕があることもあってところどころ車が駐車されていた。
「横をすり抜けていった白の車は、それまでどの位置に駐車していた車かわかりませんか?」
「さあ、そこまでは。私が見たときは南条さんの車の右側を走っていって・・・。あら?」
 ママは両手を前に重ねるようにして首を傾げた。「はっきりは覚えてないですけど、隙間がないほど車がずらりと駐車されていたんですね。それがそのときには隣りの美容院の前がぽっかり空いていたような気がするんです」
「すると美容院の前に駐車していた車が、その走り去った車だと思うわけですか?」
「さあ、そこまではなんとも。南条さんが最初顔を出して、私が出ていってまた店にもどって、電話でオーナーに前借りのお願いをしてお金の用意をして持っていくまでに、十分ぐらいはあったと思いますから。そのあいだに衝突事故も起きていたんです」
 ママは交差点の方を視線を走らせると顔を曇らせ、思わず身震いをした。
「その空いたスペースと南条さんの車とのあいだに、ほかの車が一台か二台止めてありませんでしたか?」
「確か、一台あったと思います」
 関口が、どんなもんだいとばかりに少しニヤついた顔で萩野を見やった。
「犯人がわかったんですか?」
「いや、そこまではいってないんですが、事件の全体像が浮び上がってきました。犯人はハムで佐々木さんを殺した人物と同一犯の可能性があります。しかもかなりの高度な電子技術をもった者です。心当たりはありませんか?」
「さあ、私の知り合いに技術系の方はいらっしゃいませんし、なによりも、先ほども言ったように南条の友人とか知人は全然知らないんです」
「ふむ、そうでしたね。佐々木さんの周辺から洗ってみましょう。ふう、寒いですね」
 初冬の冷たい風が、三人を吹きさらしにする。萩野と関口が店にもどろうとしたが、ママは立ち止まって車道の方を見やった。そして関口に向き直ると手をしっかり握り、懇願するように言うのだった。
「刑事さん、絶対に犯人を見つけてくださいね。私があの人にしてあげられるのは、刑事さんにそのためのお手伝いをするぐらいのことですから」
 見ると、その目からひと滴の涙がこぼれ落ちていた。
「いよー、ママさん。お安くないですねえ」
 ドアのノブに手をかけ、店に入ろうとしているサラリーマン風の二人連れの男が冷やかした。
「あら、いらっしゃい。そんなんじゃありませんよ。さ、気分を変えて飲み直していってくださいな」
 ママは目許をさっと拭い、照れ笑いを浮かべながら先に立った。
「忙しくなってきたようですし、署へもどらないといけないものですからここで失礼します」
 関口はそう言って万札を一枚、ママの手に握らせた。
「いいえ、きょうは私のおごりですから」
 ママが振り払おうとするのを関口は有無を言わさず手の中に押しこみ、背を向けて早足でスタスタ歩き始めた。
 その背中にママが申し訳なさそうに言う。
「ありがとうございます。これでボトルを入れておきますから、またいらしてください」
 関口は後ろ向きのまま軽く右手を上げた。しかたなく萩野が関口の代わりに、小走りに駆け出しながら振り向き様にママに言う。
「なにかわかったら報告に伺いますよ」
 ママはにっこりうなずいて礼をした。
 関口はなにも言わず、もくもく歩く。246号線に出たらすぐタクシーをひろうのかと思っていたら、横断歩道を渡ってから渋谷方向に走るタクシーをひろった。
「新宿にやってください」
「え、署にもどらなくていいんですか?」
「ハギさん、わからんもんだなあ。水商売ずれしているようすもない、あんないい女がどうして南条みたいな男に惚れてしまうんだかなあ」
 関口は両手を頭の後ろに回し、気だるそうに体をシートに預けていた。