AREA1  奇妙な隣人

            その1
 雲間からこぼれ出る日差しにつられ、本を小脇に庭先に出てみると、隣りの家では男がポールにキャタツを立てかけ、その頂上に乗って片手でポールにしがみ付くようにしていた。もう一方の手には銅線を持っている。どうやらポールに取り付けようというらしい。その娘とおぼしき女の子が下から銅線の端を持って、
「お父さん、気をつけて」
 と心配そうに叫んでいる。父親はポールの留め金に銅線を引っかけると、年には似合わぬ素早さでひょいひょいとキャタツを降りた。ポールからポールに張り渡された銅線は風に揺れて太陽光に反射し、だいだい色の光を放っている。ポールは敷地の四隅に立てられ、そのど真ん中には一週間前クレーン車がやってきて、高さ二十メートルほどの鉄骨製のタワーが建った。おとといにはそのタワーに、テレビのアンテナをばかでかくしたようなアンテナが取り付けられ、さらにはなにかしらテストでもしているのか、そのアンテナがタワーの横腹に添ってエレベーターのように何度も上下するのだった。
 放送局でも始めようとでもいうのだろうか。強烈な台風でもやってきてタワーやポールが倒れようものなら、まちがいなく正和の家の庭先にも倒れ込んでくる。隣家だけにおかしな真似をやってくれるなと思うが、立っている分にはこちらの敷地に入ってくるわけでもなし、静かに見守るしかなかった。
 そもそも正和一家が越してきて以来、空地になっていた隣りの土地に家が建ったのは一ヶ月前のことだ。工事が始まったと思ったら、あれよあれよという間にいまどきにしては珍しい平屋建ての小じんまりとした家が建った。その後、普通なら工事で荒れた土地を整地して庭造りをやるところだが一向にその気配がない。そうこうしているうちにクレーンをつけた車が入り込み、あっという間にタワーやポールが建ったのだった。
 正和の家にあらたまった挨拶はなく、特別引っ越しをしてきたという形跡もなかったが、いつの日からか夜、たまに電気が灯るようになった。女の子もきょうを含めて三度姿を見かけただけで、住んでいるという風ではない。女の子が、「お父さん」と呼んではいるが、それは世間を忍ぶための方便で、ひょっとしたらヨコ文字で「パパ」と呼ぶ関係なのかも、などと勘繰ってみるが、それにしては女の子が子どもっぽい。やはり親子だろうという考えに落ち着くしかなかったが、いずれにしても得体の知れぬ隣人だった。

SWR計

 作業を終え、父親は家の中に入っていったが、娘が正和のほうに近づいてくる。そして慌てて本の上に視線を落とす正和に、にこやかに話しかけてくる。
「こんにちは。読書が好きなんですね」
「ええ、まあ・・」
「でも、いつもじゃ飽きませんか?」
 正和はしかめっ面になってページを捲った。「ふふ、ごめんなさい。いまアマチュア無線のアンテナを張ってたとこなの。これからはよく電波を出すと思いますから、テレビとかステレオに妨害電波が入るようだったら言ってくださいね。直すようにしますから」
「アマチュア無線!? あれは、車なんかでやるものなんじゃないですか?」
 大学の駐車場で、得意がってマイクを握っているやつを見たことがあったのだ。それでなくてもアンテナを付けて走っている車を見かけるのはよくあることだ。
「ええ、そういうのもありますよ。こういう大きなアンテナでやるのもあるんです。車なんかでやるのはVHFとかUHFっていう高い周波数なんだけど、これはそれよりもずっと低い周波数です。HFっていって、これだと外国ともいつでもつながるんです」
 女の子はタワーのアンテナを指差して言った。
「ふーん。じゃ、英会話ができないとだめでしょうね?」
「そうね。いろいろ話そうと思ったらそうだけど、決まり文句があるからだいたいはそれで通じるの。ねえ、よかったら家にきて見てみませんか?」
「え、でも・・」
 女の子は正和には取り合わず、柵に両手で身体を預けるとヨイッとばかりに右足を跨いでミニスカートをひるがえし飛び越えた。
 思わず視線がいく正和に、女の子はおもしろがって言う。
「ふふん、変なこと期待してたんでしょう?」
 立っている状態では気がつかなかったが、キュロットスカートだった。
「い、いや別に」
 しどろもどろになる正和を横目に、女の子は笑みを浮かべながら車椅子の後ろに廻った。
「さ、押してあげる。いつもこんなところに座りこんでいたら、お尻が腐ってしまうわよ」
 まだあどけなさを残している顔には似つかわしくなく、まるでお姉さんぶったものの言い方だ。
「いや、隣りなら車椅子までは必要ないですから」
 女の子の押しの一手に気圧されて、正和は杖を持って立ち上がった。
「わたし、川村亜香里。T学園高校の三年生よ。あなたは?」
「浅井正和です。A学院大です、いまは休学中ですけど」
 正和は視線を落とし、知らず知らずのうちに卑屈な話し方になった。亜香里は古い付き合いの友達であるかのように、右側から正和の腕をとって歩いた。
「一度しかない人生なんだから、せいいっぱいのことをやらないとね。読書もいいけど、すねて生きてたって自分が損をするだけよ。少しでもいろんな経験をしたほうがいいでしょう」
 初対面の人間に向かって、ましてやなにも知らないくせに、とは思いながら、理学診療科のスタッフと似たようなことを言ってくるのには驚いた。
 自分では世をすねているつもりはないが、医者に言わせるとそうなるのだった。学校に通えと言われても、母もパートで仕事に出ているのだから毎日車で送ってもらうというわけにはいかない。朝、通勤する父に付き添ってもらって電車でいくというのも、ギューギュー詰めの電車に乗れるわけはない。通勤時間を外したところで、よたつく足取りでひとり電車に乗るのもまったく自信がなかった。やりようがないからこうしているだけのことだった。また、無理をして通い卒業したところで就職の見込みが立つわけでもないのだ。