第七節 藪ヘビ

 正面玄関に立ち、外来患者が行き来する中を麻奈美は周囲の人には気付かれないよう深呼吸をした。新聞の求人広告で見た中堅どころの病院二つの面接を受けてみるつもりでやってきた、そのうちの一つだった。
 貯金はアパートに関する諸費用と引っ越し費用とで底をついてしまった。いまはクレジットカードからの、“キャッシング”で生活している。ぶらぶらしている余裕などなかった。
 受付嬢に案内されて通されたのは、小さな応接室だった。
「事務長の平林といいます。よろしくお願いします。さっそくですが、履歴書を拝見させてください」
 事務長というとどこか神経質そうなキャラクターの人物をイメージしてしまうが、丁重でにこやかな表情の応対には好感がもてた。
「仙台第一病院ではずっと心療内科勤務だったんですね。失礼ですけど、向こうを辞めた理由はなんなんでしょうか?」
 当然聞かれるものと覚悟していた。
「もともとは外科系統をやってみたかったんですが、希望者が多くてやれなかったものですから、いっそのこと他でと思いまして」
 用意していた文言をそつなくこなした。
「なるほどねえ。ただ、うちでも外科希望者は多くてですね。一年程度は待っていただくことになると思います」
「それでまちがいなくやれるというのであれば、けっこうですけど」
「そうですか。それは助かります。心療内科というと精神科と似たようなものでしょうから、いろいろ気疲れ・・・? 桜田麻奈美さんでしたね」
 事務長はどういうわけか履歴書をよくよく見直し、麻奈美をのぞくように見てきた。
「あのう、なにか?」
「これは失礼。すみません、ちょっとお待ちください」
 事務長はそそくさと応接室を出ていってしまった。
 十分ほどでもどってきたが、
「お話しは承知しました。それでは採用か否かについては、明日の午前中にお電話いただけないでしょうか。そのときにご返事します。ごくろうさまでした」
 丁重な言葉遣いではあるが、こちらからもいくつか聞きたいことがあったというのに、はじめにもった好感は吹き飛んでしまった。
 その不自然な対応は次のM病院の面接で、なにもかもがわかった。
 応対に出た総務課長が履歴書を見る前から、麻奈美の顔を食い入るように見つめてきた。
「あなたが仙台第一病院の桜田麻奈美さんですか。いろいろお噂はうかがっております」
 と、皮肉な笑いを浮かべて言ってきたのだ。
 それだけではない。自分の机から一枚の写真を持ってくると、
「いや、あなたの顔を見たとたん、どこかで見た顔だなあと思ったんですがね。数日前に院長宛に送られてきた写真ですよ」
 麻奈美の前に突き出された写真には、全裸のあられもないポーズをとった麻奈美自身が写っていた。
「すみません、ご迷惑おかけしました。履歴書、返してもらっていいですか。できればこの写真もいただきたいのですが」
「ああ、どうぞ。こんなことを言ったらなんだけど、市内の病院は無理じゃないかなあ。この業界も広いようで狭いからねえ」
 総務課長は気の毒そうに言った。
 こんな卑劣な行為をほんとにやるとは夢にも思わなかった。通りがかりのタクシーをつかまえ、
「県庁の裏側あたりにやってください」
 こうなれば男と直談判し、写真とネガを取り返す以外にない。逆襲されるようなことがあったら、昼間で県庁近くのマンションとなれば人は多勢いるだろうから、大声を出して人を呼ぶつもりでいた。
 仕事を聞いても笑ってごまかして教えてくれなかったのでわからないが、少なくとも普通のサラリーマンでないことだけは確かだった。
 マンションは手帳に記してあった住所からすぐにわかった。一階の駐車場にも見たことのある車がおいてあった。玄関に入っていく前、麻奈美はいざというときのために花壇の中に転がっていた小石を三つ、ハンドバッグに入れた。
 904号室、岡田隆夫。それが男の部屋だった。
「ピンポーン、ピンポーン・・・」
『はあい、どちらさんですか』
「桜田麻奈美です」
『おお、麻奈美か。ちょっとまって』
 ドアが開いて、寝ていたのか上半身裸の岡田が現れた。
「いやあ、直接きてくれるとは思ってなかったよ。さ、こんなとこじゃなんだから、汚いところだけど入ってくれよ」
「いいえ、ここでけっこうです。写真、ほんとに送ったんですね」
「ああ、そのことできたのか。すると効果覿面てことだな、あはは」
「インターネットにも使いましたね。ネガと写真、なにも言わずに返してください。返してくれなければ警察にいきます」
「なんだって、警察だって。へへ、これはおもしろいな。いったい俺がなにをやったっていうんだ。言ってみろよ」
 岡田は急に強気な態度に出てきた。
「肖像権の侵害というか・・・」
「ハハ、笑っちゃうね。ホテルを出るとき、金を渡したよな。お小遣いを。いっとくがあれはモデル料だぜ。麻奈美はプロのモデルさ。モデルが肖像権の侵害を申し立てるのか。聞いたことがないぜ。そんな言い分が認められるなら、人物写真なんてのは成立しなくなるぜ。モデル料を払って撮った写真なんだから、俺がどう使おうが俺の勝手なんだよ」
 むずかしい理屈はよくわからず、反論する言葉が出てこなかった。
「モデル料としてもらった覚えはないというんだったら、セックスをさせた代金とでもしておくか。そうなれば麻奈美は売春をやったことになる。掴まるのは麻奈美の方だぜ」
「・・・・・・・・」
「遠慮することないからいってこいよ。ほら、県庁の横に見えるのが県警本部さ。歩いても五分でいけるからいってこいよ」
 岡田は麻奈美の背中を突き押してくるのだった。
 黙ったまま動かずにいると、今度はやさしい口調に変わった。
「なあ、麻奈美。テレクラでも縁あって知り合って仲だろうが。こんなぎすぎすした関係なんて疲れるだけじゃないか」
 それでも背を向けたまま、黙っていた。

真奈美

「よし、それじゃこうしよう。なにも言わずに今夜ひと晩だけ付き合ってくれ。そうしてくれれば、ネガと写真は渡す。インターネット上からもきれいに消そう。それであとは赤の他人ということでどうだ」
 岡田は背後から手をまわし、頬にふっと息を吹きかけてくる。
「それでいやなら、あの写真はあとあとこっちの好きなように使うさ」
 今度はくるりときびすを返し、ドアの中へ入っていこうとする。
「待って。いまの話し、きちんと約束を守ってくれるの?」
「ああ、男に二言はない。俺は言ったことは実行に移す男だ。実際病院にも写真が届いたろう」
 なにかしっくりこない論法ではあったが、説得力はあった。
「うん・・・」
 足をドアの方向に向けた瞬間、岡田は強引に玄関の中に引き入れ、キスを迫ってきたが、つい顔をそむけた。
 次にはスカートをたくし上げ、右手をパンストの上にまで這わせたあと、その隙間から素肌と恥毛を伝って容赦なく割れ目の中に侵入してきた。
「あぅ・・」
「なんだ、ぐちょぐちょじゃないか。上半身と違って下半身は正直だな」
 そのままベッドに運ばれると、あとは岡田に身を任せたままとなった。
「麻奈美は、ほんとは根っからの好き者だな。うぬぼれるわけじゃないが、女を百人以上泣かせてきた俺が言うんだからまちがいない。看護婦なんて安給料はやめて、フーゾクをやってみたらどうだ。これだけの器量なんだから、売れっ子になるのはまちがいないけどなあ」
 ベッドの上でふわふわ浮いている気分が三十分ほど続いたところで、岡田の方が果てた。
「ふっー、こんな短くすんでしまったのはしばらくだよ。麻奈美はほんとにいい女だよ。まあ、時間は充分にあるから慌てずいくか」
 岡田はことがすんだあと、隣室にいってなにやら電話をしていた。そのあいだ、ベッドの周囲にある小物入れや机の引き出しを当たってみたが、写真やフィルムは見つからなかった。
 不意に扉が開く。
「泥棒みたいな真似をするんじゃないよ。ほら、これだよ。明日の朝、帰るときにはまちがいなく渡してやるよ」
「ごめんなさい。インターネットってどんなの?」
「そうだな。せっかくだから見せてやるか。自分の色っぽい姿を見るのはけっこう興奮するぞぉ。ははは・・」
 と言いながら、右手は麻奈美の太股のあいだに割って入ってくる。
 パソコンの電源を入れ、マウスを操作すると、なんと大きなテレビの画像に麻奈美の痴態写真が次から次に現れてきた。
「ふふ、どうだ。感じるだろう。この写真を全世界の何万人、何十万人という男が見てるかもしれないんだぞ。はあ、はあ、言いながらな。ほーら、麻奈美も濡れてきた」
 そのときドアが開いて、
「おーい、いいのか」
「ああ、散らかしてるけど入れよ」
 麻奈美は慌てて毛布を身にまとった。
「へえ、かわいい子じゃん。これなら申し分ないなあ」
「だから損はさせないって言ったろう」
 話しの内容はまるでちんぷんかんぷんだが、なにかしら危険が迫ってきているのはわかった。
「こいつさ、俺のダチで小林っていうんだ。麻雀の負けがこんでてさ。それで麻奈美と一度やらせてくれれば、チャラにしてくれるってもんだからさ。相手してやってほしいんだ。頼むぜ」
「いやよ。そんな約束した覚えはないわ。岡田さんと二人だけのはずです」
 岡田はまたもや強持ての顔になった。
「あのさあ、お嬢さん。これを取りもどしたくてここにきたんだろう。インターネットのホームページから痴態写真を全部消したくてきたんだろう」
 わざとらしくプリントを部屋中にばらいまいた。
「うひょー、すごいなあ。俺にも撮らしてくれよ」
 もうひとりの男が写真をかき集めながら言った。
「こいつの相手をするのがいやなら、このまま帰んな。インターネットには永久に麻奈美のおっぴろげ写真が載ることになるだろうがな」
「・・・・・・」
「なあ、麻奈美。俺と麻奈美は愛情で結ばれているわけじゃない。スケベどおしが交わっているだけさ。そういうセックスなら男が替わったところで、なにも苦痛に感じることはない。むしろ、いろいろな男を知ることによって喜びも倍々ゲームになっていくのさ」
「ああーん・・・」
 男にしてはしなやかな指先が、今度は尻の穴を直撃してきた。
「さあ、やってくれ」
「じゃあ、遠慮なくいただきます」
 岡田とは違うタバコの匂いが麻奈美の口元を覆った。