5 主不在の葬式

 それから二日後、兄秀一の家では2DKの障害者住宅にはおよそ不釣り合いな葬式が行われていた。
 弔問客は近所の人か、普段はほとんど付き合いのない遠い親戚の人が数人だけだというのに受付には葬儀社の二人の社員を配し、家の前には六つの花輪が立て掛けられていた。兄には障害者仲間に何人か親しい人がいるだけで、花輪を送れる余裕のある人はいない。
 兄に感謝する意味でせめて葬式ぐらいは贅沢なものをと思い、良次が取引のある会社や知り合いの名前を借りて自ら用意したものだった。もっとも花輪の一つだけは本物で、その花輪には“T大学医学部・江畑勝男”と書かれてあった。
 弔問客も途絶え、家には葬儀社の社員のほかには良次と台所を手伝ってくれている良次の女房、それに縁遠い親戚の中では小さいとき兄弟して遊んでもらったことのある武井寿広だけとなっていた。
 二人は遺影を前にテレビを見ながら酒に興じていた。
「由美子さんにも最後の顔だけでも拝ましてやりたいけどなあ」
 武井が兄の遺影をしみじみと見ながら言った。
「そりゃあね、あとで病院に電話を入れてみますよ。症状が収まっているようだったら看護士の人に付き添ってもらって、きてもらうようにしますから」
 遠回しに義姉を連れてこいと言うのはこれで三度目だった。昨夜、病院から遺体が帰って湯潅をするときはしつこいほどに言ってきた。
 臓器摘出の跡は、いやがおうにもくっきり残っていた。そのときやむなく義姉には臓器提供の件は話していないことを告げると、武井は怪訝な目付きで良次を見てくるのだった。
「お、終わったかな。江畑教授はどこにいるんだ?」
 画面を覗きこむようにして武井が訊いてきた。
 それまでタレントの不倫を流していたワイドショーの画面が突然切り替わり、白衣姿の男がずらり並んだ記者会見場を写し出したのだ。
「真ん中の人がそうですよ」
 画面はまた切り替わり、ニュースキャスターが大写しになる。
『T大医学部で昨日から行われていた心臓移植が先ほど終わったようです。これより記者会見が始まりますので、そちらの模様をお送りします』
 昨日心臓移植のことがT大から発表されるとテレビはおりにつけ、そのニュースを流していた。さすがに良次も気になりテレビをつけたままにしていたのだが、まる一日たっても成功したという報道はされず苛立っていたところだった。
『ええと、それでは発表します。移植は一応成功です』
 記者団から、『おっー』という感嘆の声があがる。
『もちろん拒絶反応がいつ出てくるのか、注意深く見守っていかなければなりませんので現時点で成功というのは早過ぎるのですが、移植手術そのものは成功です』
 教授は疲れも見せず、胸を張ってそう言った。
「よかったなあ」
 武井が銚子を傾ける。良次も釣られるようにぐい呑みを差し出す。
「このまま、うまくいくといいんですけどねえ」
 提供した以上は手術の成功を祈られずにはいられなかった。
『臓器提供に関する法律ができて以来初の心臓移植なわけですが、その点なにかご感想はありますか』
『我々移植医はいまかいまかと待ち続けてきたわけですから、こういった機会に遭遇できたことはひとえに皆さまのおかげと思っております。なかでも提供してくださったご本人とご遺族の方に、この場をかりて深く感謝を申しあげる次第です』
『三十時間以上もかかったというのは、それだけむずかしかったということですか』
『ひと言でいえばそういうことになりますが、実はご遺族の方からのたってのご希望がありまして、角膜と腎臓も、それぞれ別の患者さんに同時移植をやってました。私どものチームだけでは足りなかったものですからN病院からも応援を得ています』
 またもや記者団から、今度は驚きととれる歓声が沸き起こった。

キャスター テレビカメラ

 思わず、良次が口走る。
「よく言うよ」
 武井が横から疑惑の目で言う。
「だったら提供しなければよかったじゃないか」
「いや、兄が生前死んでからぐらいは世の中の役にたちたいって、いつもいってたことですからね」
 武井に教えたことを後悔したが、あとの祭りだった。
『そちらの移植の具合いはどうなんですか?』
『それはこれまでにもやってきていることですから、まず問題はありません』
 記者団は矢継ぎ早に質問がくり出していたが、良次はテレビのスイッチを切った。
「移植相手がどんな人かは知りませんが、それぞれ形をかえて兄が生き続けてくれるんであればいうことはないですよ。兄もあの世で喜んでくれていると思いますよ」
 武井はそれには返答せず、酒を一気に飲んだ。
「あなた、事故の相手という方が見えましたよ」
 女房が襖を開いて言った。
「そう。お通しして」
 保険屋から昨夜のうちに、警察の捜査は運転者の前方不注意による全面的な過失と認定された、との報告が入っていた。加害者も裁判で争う意思はなく、明日は必ず焼香に伺わせるとのことだった。
 玄関先に良次よりも半回り程度若い男が、大柄の身体を小さくして現れた。
「失礼します」
 蚊の鳴くような声でそう言い、玄関で立ち止まったまま動こうとしない。
「どうぞ、お上がりください」
 女房がそう言ってはじめて靴を脱ぎ、しずしず上がってきて二人の前に正座した。そして腰を折り曲げるようにし、頭を畳の上につけた。
「この度はとんでもないご迷惑をおかけしました」
「まあ、線香でもあげてやってください」
 男は神妙な顔つきで焼香し手を合わせる。その手が小刻みに震えているのだった。それを終えると、また二人の前にきて頭を下げた。
「ほんとに申し訳ありませんでした」
「あんたなあ、保険で賠償金を払えばそれで済むってもんじゃないぞ。人ひとりの命を奪っているんだからな。もっと誠意をみせるべきじゃないのか」
 ほんのり顔を赤らめた武井が大声で言った。
「兄の前ですよ。場所をわきまえてください」
 武井を諌めると、男のほうに向きをかえて言う。「きょうのところはこれでけっこうです。あらためて連絡差し上げますので」
 男は顔を伏せたまま一礼すると、早々と出ていった。
「秀一を殺されたんだぞ。いろいろ言いたいことがあるじゃないか」
「そんなことを言ったからといって、兄が生き返るわけじゃないでしょう。言えば言ったで、こっちまで惨めになってくるだけですよ」
「それにだな、保険金だけで済ますってのもシャクにさわるだろうが。少しぐらいあいつからもぎ取ってやらないとだな、ヒック」
 武井はすっかり酔いが回ってしまっていた。
 その話しは病院の事務長からも聞いた。通常、賠償問題の決着のつけ方として、保険から下りる賠償金以外にも加害者個人の懐からもいくらか引き出させて遺族の怒りを治めるのだという。
「そういうことは初七日を終えて、落ち着いてからやればいいことですから」
 事務長が必要とあれば病院の顧問弁護士を紹介するというので、いずれその交渉を依頼するつもりでいた。事務長の話しでは、最低でも百万や二百万ぐらいは取れるだろうとのことだった。
「賠償金はどれぐらい出るんだよ?」
 武井が正気に戻った声でぼそっと訊く。昨日から何度も聞かされていた。
「それは義姉さんが話しをつけることですから」
「今の由美子さんには、そんな話しは無理だろう?」
「相続人じゃない人には関係のないことなんですから、ごちゃごちゃ言わないでください」
 いい加減我慢がならず、また良次も酔いが少し回ってきたせいがあり、睨みつけて怒鳴った。
「ずいぶん冷たいんだなあ」
「兄には、なにかあったら義姉さんを頼むぞっていわれてましたからね。僕が責任をもって一生めんどうみていきます。そのうち裁判所にいって法的手続きも済ましてくるつもりですよ」
「そうか。俺もいってやろうか」
「大きなお世話です。だいたいにして武井さんじゃ、裁判所がうんといいませんよ。義弟の僕がやるべきことです」
「まあ、そういうなよ。俺だって親戚なんだからさ、ふふふ」
 武井は含み笑いを浮かべ、空になった銚子を逆さまにしてその口を舌舐めづりしながら最後の一滴まで飲み干した。

完