その1

「プルルン、プルルン、プルルン」
 休日の午前中、もう目覚めてはいたが、とろとろしながらまだ布団を被っているとベッドの頭上で電子ホンが鳴った。受話器をとるのが面倒でしばらく放っておくと、とうに起きて隣りの部屋でテレビを見ていたお袋が、よぼよぼの体付きには似合わぬ大声で叫ぶ。
「康平、電話だど!」
 お袋に電話をとられると、ときとして話がややこしくなることがあるので切り換えスイッチを設け、僕がいる限りは自分の部屋の電話機につないでおいて、お袋にはとられないようにしてある。しかたなく布団の中から手だけを伸ばして受話器をとった。
「ふぁい・・」
『おはようございます。仙台中央病院の事務長の石橋と申します』
 その声でいっぺんに眠気が覚めてしまった。
「ああ、あなたですか。もういい加減にしてくださいよ。何度もはっきりと申しあげたじゃないですか」
 お袋には聞こえないよう受話器を布団の中に引きこみ、声をひそめて言った。
『いいえ、そうじゃないんです。実は・・』
「そうじゃないもクソもないでしょう。あれからほかの方からも二度電話がありましたが、そのときも関わるのは一切お断りしましたよ。僕が小学生がときに親父は死んだものと思ってるんです。お袋や僕らの苦労を知りもしないで好き勝手なことを言わないでください。それでも納得ができないというんでしたら、裁判でもなんでも起こしたらいいでしょう。こっちは逃げも隠れもしませんよ」
 民法には親族間の扶養義務を定めた条文があるが、あくまで義務を促すためのものに過ぎず、我家のような特殊な事情がある家庭を必要以上に責め立てられるものではない。そのことを百も承知しての言葉だった。
 最初仙台中央病院から電話があったのは、かれこれ半年も前のことになる。
『一週間前に、お父さんが腰を痛められて私どもの病院に入院されましてね。大部屋のベッドが空いてませんで二人部屋に入っておられるんですよ。それで誠に申し上げにくいんですが、お父さんの年金だけでは差額ベッド料まで支払っていただけそうにないんです。子供さんが三人おられるということを伺いまして、できましたらそちらでご負担いただけないかと思いましてですね。電話を差し上げた次第なんです』
 それを聞いた瞬間、なにも言わずに受話器を置こうかとも思ったが、努めて冷静にかくかくしかじかでと説明すると、一応の理解は示してくれたが、『ですがねえ・・』とやんわりと返してくる。
『いまはみなさん成人なさって、仕事もきちんとやってらっしゃるわけでしょう。もう昔のことなんですから、水に流しておあげになったらいかがですか。なによりも病気はたいしたことはないんですが、七十を過ぎて気弱になってらっしゃいます。お孫さんでも連れられて、顔を見せてやるのが一番の薬になるかと思いますよ。血のつながった実のお父さんのことなんですから、それぐらいのことをやる責任はあると思いますけどねえ』
「僕はまだ独り者ですよ。そんなものの言い方でこちらの責任を云々言ってくるのでしたら、あなたを親父の代理人と解釈してお話しますが、自分ひとりが遊びほうけて家族に満足にメシを食わせなかったという過去の事実に対して、あなたはどんな責任をとってくれるというんですか」
『い、いや、そんな風に言われても困りますけど、なにもかもが昔のことじゃないですか。罪を憎んで人を憎まずですよ。一度、お暇なときにでもこちらにいらしていただけませんか』
「お断りします。迷惑ですから二度と電話はよこさないでください」
 これ以上話しても堂々巡りをくり返すだけと思い、一方的に電話を切った。

コスモス

 それから一ヵ月ほどが過ぎ、仕事を早めに終えた日の夕方、風呂に入りさっぱりしてビールを飲みながらギョーザに舌鼓を打っていたときのことだ。電話が入り、たまたま目の前にいたお袋が受話器をとった。
「はあ、はあ・・。いますげど、どちら様っしゃ。なんの用だすぺ?」
「ああ、いいよ。俺が出る」
 受話器からは微かにだが女の声が聞こえる。慌てて受話器をひったくろうとしたが、お袋は僕の手を払いのけ、がんとして受話器を放そうとしなかった。
「あいづとはとっぐに別れて夫婦でもなんでもねんだがら、くだらね電話はかげねえでけろ」
 お袋はそれだけ言うと電話機が壊れるのではと思うぐらいに、乱暴に受話器をおいた。
「バーガ、あいづが病気になっだっで死んだってや。なにがこっぢに関係あっぺや。おれが病気になっで動げなぐなっだどぎだっで、食う物なぐなっだどぎだっでろぐに金ももっでこながっだでねえが。なんでそんなやづにこっぢが見舞いにいがねげなんねんだ。ばがやろ、ふざげんでねえど」
 単なる愚痴にはおさまらず、まるで僕が親父であるかのように唾を飛ばして言ってくる。ビールとギョーザをそれぞれの手に、早々と襖一枚だけ隔てた自分の部屋に避難した。
 そして二週間が経過したころ、どこでどう調べたのか今度は会社へ電話があった。しかも病院からではなく福祉事務所の職員からだった。
『費用はこちらで負担することになりましたから、その点ご心配していただく必要はなくなりました。ただ、お父さんが淋しいようすでしてね。息子さんと、できればお孫さんにも顔を見せてもらえればと思うんですよ。病気そのものはたいしたことないようなんですが、気分的にはだいぶ落ちこんでるようでしてね』
「そんなのは自業自得でしょう。だいたいにして仕事場にこういう電話は困ります」
 そのときはちょうどみんなが出払っていて女子事務員がひとりいるだけだったが、その子は素知らぬ顔でせっせと伝票の整理に精を出してくれていたのがせめてもの救いだった。
 その電話があってからはしばらくのあいだ鳴りをひそめていたが、さらに一ヵ月がたったある日のことだ。仕事を終えてアパートに帰り、入り口のところにまとめて付けてあるポスト群の中の“横瀬”と名札がうたれてあるポストを覗きこむと一通の手紙が入っていた。
 宛名はお袋になっており、差出人はと見るとなんと親父の名前が書いてあった。住所は自宅になっていたが、消印はその区を管轄する郵便局のものではなく、病院がある区の郵便局のものだった。
 差出人が親父であろうと、お袋にきた手紙である以上速やかに渡す以外にない。少なくともドアのノブに手をかけるまではそのつもりでいたが、ドアを開ける段になってどうしたものか迷いに迷った。少し考え込んだあと、僕は覚悟をきめてめいっぱい息を吸いこみ、大きな息を吐いてからドアを開けた。
「はいよ、お袋に手紙だよ」
 テーブルの上に放り投げ、あとは自分の部屋にこもって息をひそめて耳をそば立てていると、第一声から大声を張り上げる。
「なんのづもりだや、バガ!」
 そのままもみくちゃにしてゴミ箱に放りこむとでも思っていたら、意外にも封筒を切る音と便箋を開く音が聞こえてくる。
「フハハ、なに考えでだが。自分がら別れでおいで縒りをもどすっつうのが。まっだく呆れでものもいえね」
 僕はどうしてもひと目見たくなって、襖を一センチほど開けてお袋のようすを伺った。するとどうだろう。その表情は怒っているというより不敵な笑みを浮かべているのだ。そしてまた奇妙なことには便箋を元どおり丁寧に折って封筒に入れると茶箪笥の引出しにしまうのだった。
 そのことがあってからは注意深くポストをチェックするようになったが、その手紙以外見かけることはなかった。だがお袋が出かけたある日、それとなく茶箪笥の引き出しを調べてみると、なんと五通もの親父からの手紙が入れてあった。
 親父が手紙を書こうとお袋がそれをどう処理しようと、たとえ縒りをもどそうとも好きにやればいい。親といえどよけいな口を挟むつもりはないが、これ以上くだらないいざこざに付き合わされるのはまっぴらごめんだった。ましてや赤の他人にまで引っかき回されたのでは、なおのことたまったものではない。
「あとは法廷ででもお会いしましょう。もう切りますからね。今後もあなたとわかれば、即切りま・・」
『待ってください。亡くなったんですよ』
 事務長は慌てふためいて、甲高い声で叫ぶのだった。
「はあ?」
『きょうの未明のことですけど、お父さんが心不全でお亡くなりになったんです』
「・・・・・・」
 カーテンの隙間からこぼれ出ていた一筋の光が急に大きな帯状の光の束に変化し、僕はその中に吸い込まれていった。