1 落ち着き先

 新幹線から降りると駅前のバス停に向かおうとして一階に下りかかったが、そのままペデストリアンデッキを渡り中央通商店街の中をぶらぶらし始めた。
 バッグからカメラを取り出し、思い出したように足を止めては適当にシャッターを切っていく。トラベルライターという職業上のせいもあるのだが、暇があると街中をうろついてはちょっとでも目立ったものがあると写真に残すようにしていた。
 藤崎デパートの近くまできたときだ。後ろから上着を引っ張ってくる者がいる。
「ああ、なんだ。舞ちゃんか。びっくりさせるなよ。仕事終わったところか」
 義理の妹の舞がニヤニヤしながら立っていた。
「ちょっと買い物してこれから帰るとこ。きょうもどってきたの?」
「さっき新幹線で着いたとこさ。そのまま家に帰るのも早いと思ってさ」
 東京に仕事場として借りてあるアパートに籠もりきりとなって資料と首っ引きでどうにか原稿を仕上げ、二週間ぶりの仙台だった。
「ふーん、だいぶ驚いてたようすだったけど、わたしに見られたらまずいようなことでもしてたの?」
「なに言ってんだよ。散歩しながら風景写真を撮っているのを見られてどこがまずいんだ」
「それだけかしらね。かわいい子でもナンパして変な写真でも撮ろうとしてたんじゃないの」
「ばかなこと言うなよ。そんなことするわけないだろう」
 上着を引き寄せてくるのを、今井は振りほどこうとしながら言った。
「おねえちゃんに見せてもらったことがあるのよ」
「な、なにを?」
 舞はさらに腕をとって顔を近づけ、ささやくようにして言う。
「ヌード写真、おねえちゃんがきれいに写ってた。いろんなポーズとって」
「・・・・・!?」
 今井の身体は凍りついてしまった。
「いいじゃない、女房のヌード写真を撮るのがどこがいけないの」
 言葉もなく舞に押されるようにしながら一番町との交差点までくると、横から見慣れた和服の女が通りかかった。視線が合ったあと、女はすぐ正面を向き直して通り過ぎようとした。
「ママさん。なんだい、知らんぷりしなくたっていいのに」
「あら、ごめんなさい。よけいなことはしない方がいいのかと思ったものですから」
 女は伏し目がちに苦笑を浮かべた。
「ああ、これは妹ですよ。たまに飲みにいってるスナックのママさんさ」
 舞も慌てて腕を離す。
「兄がいつもお世話になりまして」
「そうでしたか。こちらこそお兄さんにはいつもお世話になってます」
 今井が顔を寄せて言う。
「あとから寄ろうと思ってたんですよ」
「いまちょっとだけそこに用足にいってきますけど、もどり次第お店を開けますので。お待ちしてます」
 軽く会釈して立ち去ろうとするのを舞が今井を押し退けて前に出る。
「わたしもいきますから、よろしくお願いします」
「なに言ってんだよ。お母さんが心配するぞ。飯ぐらいおごるから先に帰ってなよ」
「子ども扱いしないでよ。だいたいにしてわたしの勝手でしょ」
 ママさんは顔を伏せたまま、口元を手で隠しひとり笑いこけている。
「お二人でごいっしょにどうぞ。それじゃ」
 相手にしていられないとばかりに、足早にいってしまった。
「きれいな人ね。お兄さんのこれ?」
 舞が小指を立てて言った。
「はは、考え過ぎだよ。ただのいきつけのスナックのママさんさ」
「もう二年も過ぎたんだし、おねえちゃん怒ったりしないわよ。というより、また誰かいい人を見つけてくれることを望んでると思うわ」
 今井は笑みを浮かべたままそれに応えることなく、前に向かって歩き始める。舞はそのあとについていこうとはせず、立ち尽くしていた。
「どうした? すぐそこによくいく寿司屋があるんだ。お腹すいたろう」
「ううん、いいわ。やっぱり先に帰ってる」
「よけいな神経使うなんて舞ちゃんらしくないぞ。あとでスナックにも連れてってやるから。さ、いこう」
 舞の腕をとるとどんどん歩き、一番町の通りから脇道にはいったところの寿司屋に入った。
「いらっしゃい。こちらにどうぞ」
「いや、きょうは座敷を借りますよ。ビールとあとは適当に頼みます」
 カウンターの前を通り過ぎ、奥の畳敷きに腰を下ろすと舞はやたら店の中を見渡した。
「ふーん、こういうお店にくるんだ。お兄さんのこと何でも知ってたつもりだけど、まだまだねえ」
「オーバーだよ。寿司屋ぐらい誰でもくるさ。それより聞きたいことがあるんだ」
「え、なにを?」
「大学のときからつき合ってる井上君とかいったっけ。彼は元気かい」
「あんな奴、とっくに別れたわよ」
「えっ、そうか。振られてしまったかあ」
「冗談でしょ。わたしがポイしてやったの」
 というなり、ちょうど運ばれてきたビールのジョッキを片手に今井のジョッキと合わせることもなくいきなり飲みだした。
「おいおい、そんなに無理をするなよ」
「なんというか、一口で言うとガキなのよね。遊ぶことばっかり考えて、将来の展望なんてまるでないの。仕事も合わないから辞めようかなあなんて愚痴ばっかりだしね。そりゃ別にやりたいことがあるから辞めるというんならわかるわよ。係長と性が合わないとか、人に頭に下げて廻るのはやってらんないとか、聞いてられないわ。男なんてあんなものなのかしらね」
「舞ちゃんだから聞いてほしいんじゃないのか。そうそう強い人間なんていないぞ」
「そんなことぐらいわかってます。要するに井上君とは別れる運命だったってことよ。もうその話しはおしまい。すみません、おかわりお願いします」
 飲み干したジョッキを高く差し上げた。
「じゃあ、いまは空き家ってわけか?」
「まあね。会社の同僚でボーイフレンドぐらいの子ならいるけど、それ以上でもそれ以下でもないって感じね」
「まいったねえ。そうなると婿取りはしばらくお預けってことになるのかなあ」
「それってお兄さん、出ていくつもりなの?」
「すぐにってわけじゃないけど、いつまでもいるわけにもいかないからなあ。佐智子の三回忌が過ぎたらと思ってるんだ」
「いまどきお婿さんにきてくれる人なんてそうそういないし、お婿さんに入らないまでもお兄さんみたいに女房の家でいっしょに住むなんて男の人、そういるわけないもの。わたしはいずれお嫁にいくと思うわ。お兄さんが新しいお嫁さんを迎えてくれていいのよ」
「そんなのは有り得ないよ。だいたいにして再婚なんて考えてないしさ」
 舞の頬が緩んだ。
「おねえちゃんはお兄さんに一生独りでいてほしいなんて考えてないと思うわ。少なくとも変な女遊びをされるよりはずっと増しよ」
「なんだい、そりゃ?」
「ふふん、なんでもない。例えばの話しよ」
 舞は立ち上がると運ばれてきたビールと料理をを上がり框(かまち)のところまで取りに出る。そして、笑みを浮かべながらも不審な目付きで見入っている今井の視線とは合わせようとせず、次々料理を頬張り始めた。
「いまの話しだけど、お父さんとお母さんには内緒にしててくれよ。時期がきたら俺の口からきちんと話すつもりだからさ」
 一瞬時間をあけたあと、こくりとだけ首を縦に振り、トロ、海老と口に運んだ。
「東京にいっちゃうの?」
「いや、まだそこまでは決めてない。仕事上は向こうの方が都合がいいけど、いまさら東京のゴミゴミしたところに住まなくてもいいしさ」
「そうよ。どうせ仕事で日本中うろうろして歩くんでしょう。どこにいたって同じじゃない」
「そうなんだけど、やはり交通の便は東京がいいんだよなあ」
 舞は先ほどから今井とは視線を合わせることをせず、いまもじっと刺身の盛り合わせがのっている器を見つめていた。
「おねえちゃんから離れて気分を一新したいってことなの?」
「そんなんじゃないって」
 いつのまにか舞の瞳は今井を睨むように向いている。「まだ決めたわけじゃないよ。きょうの舞ちゃんはなんか変だぞ。さ、早く腹いっぱい食ってカラオケでも歌いにいこうや。寿司の方、お願いします」
 その言葉に、やっと舞の表情に笑みがもどった。