3 不可解な女

 いつもなら昼ぐらいまでに終える仕事だったが、きょうは二時までかかってしまった。仕事の合間に卵を仲間の一人に見せてみたが、
「真鍮でできてんだろう。土産物屋でこういうのを見たことあるなあ」
 それは男にしても、白鳥には悪いが同じ考えだった。それでも少しでも金になればめっけものと思い、商店街の一角にある質屋に持っていってみた。
 店主は入るなり露骨にいやな顔を見せ、汚い物を手にとる仕種で指先だけで受け取り、虫眼鏡で眺め渡した。だが、みるみるうちにその表情は真剣になり、虫眼鏡も大きなものに変えて卵も手の平で転がしては何度も見返すのだった。
「あなた、これはどこで手に入れられたんですか?」
「今朝、白鳥からもらっ・・・。いや、朝方商店街の外れの道で拾ったんです」
「そう、拾ったんですか。少しお待ちください」
 店主はそう言って奥に引っ込んでいった。その反応から少しぐらいなら金になりそうだな、と思って待っていたところ、後ろのガラス戸が開いて二人の警官が現れた。
「金の卵を拾ったというのはあなたですね。いつ拾ったんですか?」
「え、ええと、きょうの朝です」
「あなたねえ、拾ったものはきちんと交番に届けてもらわないと困りますね。勝手に処分したりすると、占有離脱物横領という罪になるんですよ」
「そ、そうなんですか。すみません、どうも」
 今さら白鳥にもらったとは言えないし、言ったところで信用されるわけもなかった。
「ご主人、これはまちがいなく純金なんですか」
「もう少し詳しく調べないとなんとも言えませんが、その可能性が高いですね」
「三つ合わせてどれぐらいするものですか」
「まあ、純度次第ですが数百万はするでしょうね」
「えっ! すう、数百万・・・」
 男は椅子から滑り落ちて地べたにすわり込んでしまった。
「あんたねえ、こんな高価なものをむき出しのまま落としたりしないでしょう。どっかから盗んできたんじゃないの?」
「い、いや、とんでもない。実を言うと今朝、知り合いの白鳥からもらったんです」
「白鳥からだって? あははは」
 男を除く、三人が大声をあげて笑った。
「とにかくここじゃなんだから、交番所にきてもらってゆっくり話してもらいましょう」
 両側を警官に抱えられるようにして男はパトカーに乗せられ、交番所に連れてこられた。えらいことになったと後悔しきりだったが、あとの祭りでしかなかった。
「さ、なにもかも正直に話してもらいますよ。まずは住所と氏名を教えてください」
 うなだれたまま、目の前に並べられた金の卵を恨めしい気持ちで見入っていると、ひとりの若い女が入ってきた。

純白の花

「お父さん、みなさんに迷惑かけちゃだめじゃないの」
「はあ?」
 白いセーターとスカートを着たその女は、にこにこしながら男に話しかけてくる。
「この度は父がご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
「俺に娘なんていな・・」
「お父さんは黙っててね。話しがややこしくなるだけだから、ね」
 男の口を軽く手の平で押さえ、にっこり微笑みかける。
「父は斉藤仙造と申します。私は娘の都璃子といいます。これ、免許証です。父は数年前から若年性痴呆症にかかってまして徘徊癖があるんです。そのため家にはたまに顔を見せるだけでほとんど寄りつかない始末でして、ホームレスのような生活をしています。お医者さんも悪いことをする心配はなし、誰に迷惑かけるわけじゃないから好きにさせてあげなさいと言うものですから、そのようにしています。この卵は斉藤家に代々伝わる家宝でして、いつのまにか持ち出してしまったようです」
「ああ、どおりで。持ち込まれた質屋さんが偽物じゃなし、かといってこう申し上げたらなんですが、この風体ですからねえ。こちらに連絡が入ったわけですよ」
「そうでしたか。大変ご迷惑おかけしました。それで差し支えなければこのまま失礼したいのですが、なにか手続きなど必要でしょうか」
「いいえ、法を犯したわけじゃありませんからお引き取りいただいてけっこうです」
「どうもいろいろお世話になりました。お父さんからも礼を言って」
「ど、どうも・・」
 男は狐に鼻をつままれた思いをしながらも、とにかく早く出たい一心で警官に頭を下げ、卵をとるのも忘れて外に出た。
 後を女が小走りに追いかけてくる。
「お父さん、待ってよ」
「俺に娘なんていないよ。助けてくれたのは有り難いけど、あんたいったいどこの誰なんだい?」
「もう、他人行儀なんだから。娘のように世話してくれたでしょ」
「なんだって? あんたを世話した覚えなんかないぜ」
「うふふ、お父さんに金の卵を換金するのは無理みたいね。私が換えてくるからそこで待ってて」
 と言って、通りからひとつ後ろに入った区画の滑り台とベンチだけが備わった小さな公園を指さした。
「そりゃいいけど、あんた・・」
「ほんとにもう、エッチなことしてきたくせに。忘れたの?」
「グェッ!」
 股のあいだのモノを力任せに握ってきたのだ。
 まだサラリーマンをしていたころに付き合ってた女とか、飲み屋の女とか思い出してみたが、十年以上前のことだからこんな若いはずはなく、まったく身に覚えはなかった。かといって、ほっそりした白い肌の顔つきはどこか見たことがあるような気もするのだった。
「うふふ、でも無理ないかな。じゃ、二、三十分で戻るから絶対に待っててよ。どこかに逃げたって、お空の上からなら全部見えるんだから」
 女は小憎らしい笑顔でそう言うと、通りかがりのタクシーを止めて乗った。
「うわっ!」
 男はその場にへたり込んでしまった。女がタクシーのシートに腰を下ろして足を中に入れたとき、スカートの裾の下から白い尾羽根が覗いていたのだ。
 女はくすくす笑いこけ、タクシーの中から指先だけで手を振った。
 戻ってこないうちに余所の町にでも出ようかと思ったが、なにしろ腰が抜けてしまって思うように動けない。それに「お空の上からは全部見える」との言葉も引っかかる。しかたなく民家の格子状の塀を掴まり立ちしながら公園にたどり着き、隅の方で大の字になって休んだ。
 どれぐらいたったろうか。ひたすら青空を見上げていたら、横の細い道路に一台のタクシーが止まった。反射的に立ち上がり、気をつけの姿勢をとった。
 だが降りてきたのは白髪姿の初老の男だった。
「失礼ですが斉藤さんですね。私骨董店をやってますシラトリと申しますが、娘さんから預かったものがありまして」
「まさか、ハクチョウって書くんじゃないですよね?」
「そうですけど、それがなにか?」
「い、いや、別に・・」
 白髪の男は小首を傾げながらも微笑を浮かべ、セカンドバッグから分厚い封筒と貯金通帳、それに印鑑を取り出し無理矢理ともいえる形で男の手に握らせた。
「それじゃ、まちがいなくお渡ししましたよ。また何かおもしろいものがありましたらお持ちください。高価で買い取りますよ」
 ふと気がつくと、真上の空高く一羽の白鳥が北に向かって飛んでいった。
「ありがとよ」
 とつぶやきながら後を追っていると、いつのまにか白髪の男もタクシーも消えていた。

完