3 事務所への訪問者

 後日、事故の詳しいようすを警察に聞いたところによると、佐々木が右折する際、対向車の車間距離がちょっと開いたところを通り抜けようと無理に突っこんでしまい、正面から走ってきたトラックにやや左側全部からほぼ正面衝突をしてしまったのだという。佐々木の性格でそんな無謀な運転をするとは考えにくかったが目撃者が何人もおり、ましてやアマチュア無線を運用しての、マイクを握った状態での運転とあっては弁解の余地はなかった。
 萩野も警察から事情を訊かれ、佐々木を悪者にしてしまうような話しはしたくなかったが、QSOをしていた経過は包み隠さず説明した。悔やまれるとすれば、佐々木を呼び出した局が道路の道順を尋ねるのに固定局であるこちらを呼び出してくれれば、ということだったが、それもハムどおしの善意の行動の範中となれば相手の局を責めるわけにはいかない。もちろん萩野が責任を感じるようなことではないのだが、生涯消えることのない胸の痛みとなって残るのはまちがいなさそうだった。
 初七日が過ぎても美圭のショックは隠せなかった。
 毎日のように萩野の事務所にやってきて萩野としゃべりこんでいくのだが、いつのまにかぼっーとして、目はうつろで焦点が定まらないのだ。それ以上に母親は人が変わったようになってしまい、朝から夜まで仏壇の前にすわりっきりなのだという。萩野が仕事で外に出ていても美圭は事務所に居着いていたが、母親といっしょにいると気が重くなるということも一つの要因だった。
 二週間がたって美圭はもとどおり学校に通うようになり、いつもよりは早めに事務所に顔を見せたときのことだ。
「ね、仕事が空いてるんだったら警察署に連れてってよ。向こうの会社のこととか加害者のことを調べておいてくれるって言ってたじゃない」
「ああ、そうだったな。でも、あの人たちはなんの関係もないと思うぞ」
「そんなこと、訊いてみなければわからないでしょう。とにかくいってみましょう」
 もうひとつ気乗りはしなかったが、それで美圭の気が済むならたやすいことと思い重い腰を上げた。警察署にいくには環七から事故現場の交差点を通って目黒通りに入るのが通常のコースだが、萩野は多少遠回りになるが自由通りを南に下ることにした。
「トラックの運転手さんがなんにもやってなくても、犯人がお父さんの車になにか細工したってことだって考えられるでしょう」
「はあん?」
「ほら、テレビドラマなんかでブレーキを効かなくして、事故に見せかけて殺してしまうなんてのがあるじゃない」
「考え過ぎだよ。佐々木さんの場合はブレーキが効かなかったどころか、意図的に急加速をやってトラックの前を横切ろうとしたんだぞ。目撃者が何人もいるんだから、まちがいないことさ」
「お父さん、そんな無茶なことしないもん」
 美圭は萩野の袖口を引っ張ったかと思うと、ふさぎこんでしまった。萩野は頭を撫でながらなだめる。
「わかったわかった。とにかく聞けばはっきりするさ」
 車は夕方の混雑が始まる前の道路をスムーズに走り、警察署に着いた。受付で用件を告げると、事故を担当した交通捜査課の警部補がすぐに出てきた。
「その節はいろいろとお世話になりまして。ちょっとお母さんが具合いを悪くして寝こんでいるものですから、代わりに私が」
「ああ、そうですか。それじゃこちらに」
 警部補は萩野の言葉にいぶかるようすもなく、二人を応接室に案内した。タバコを取り出し火をつけると二回ほど吹かしただけですぐに灰皿で消し、婦警がお茶を持ってきて出ていくと、さもめんどくさそうに切り出した。
「で、まあ、お申し出のあった件なんですが、そちらが指摘されたようなことはまったく見当たりませんね。相手の運転手は前科はおろか、駐車違反やスピード違反すらもやってない人なんです。昨年には優良ドライバーの表彰を受けているぐらいでしてね。犯罪の臭いなんてこれっぽっちもありませんね」
 と、最後はわざとらしく指先をつまんで見せた。
 萩野も内心はもっともだとは思いながら、うつむいたままでいる美圭を横目に見ながら質問する。
「イタズラ電話の方はどうなりましたか?」
「それは、この事故とは関係ないんじゃないですか」
「でも、事故のあとからはぴったりなくなったというのが気に入らないないんですよねえ。もう殺してしまって、いたずらする必要がなくなったからというのは考えられませんか?」
 すると、警部補は半ば呆れ顔で言う。
「交通事故で佐々木さんが亡くなったことを知ったからでしょう。新聞に名前が載ってたじゃないですか」
「はあ、佐々木さんはダンプの不法無線の告発手続きを実際やってるわけですし・・」
「いえ、それは大いにけっこうなことです。我々の仕事を手伝っていただいてるようなものですから、お礼を申し上げたいくらいですよ。その件は現在所轄署で捜査中ですが、それにしたってそのダンプ運転手と今回の事故の運転手とがつながっているなんて冗談にも考えられませんね。動機はなんですか。あれだけまじめに人生を送っている人が、どうしてそんな男たちと手を組まなければならないんですか?」
「そうですねえ」
 これまたもっともなことだと思いながら、ちらり美圭に視線をやった。
「無線でのつながりもまったくありませんよ。というのも、あの運送会社では正規に免許を受けた業務無線をもっていますからね。違法無線をやる理由なんてどこにもありませんし、事実運転手は会社の無線以外CB無線もアマチュア無線もやったことはないそうです」
 警部補の強い言い回しに二人は思わずしゅんとなってしまったが、美圭が萩野の服を引っ張りながら小声で「ブレーキ」と、つぶやいた。
「あの、相手の運転手の方は全然関係なくして、佐々木さんの知らない間にブレーキを効かなくしてしまった、なんてことは考えられませんか?」
「あのねえ」
 警部補はうす笑いをつくって見せはしたが、米噛には血管が浮き立っていた。「ありえません。車もひと通り調べましたが、そんな形跡はどこにもありませんでした」
「はあ、そうですか」
「事故車はもう必要ありませんので、駐車場においてありますから引き取ってください」
 と言うと、警部補はガバッと立ち上がった。
「きょうは無理ですから、後日レッカー業者にでも取りにこさせるようにしますので」
「我々としては、むしろ相手の運転手を気の毒に思ってるぐらいですよ」
 との言葉を残すと警部補は二人に挨拶もせずに、無造作にドアを開けて出ていった。

トランシーバー

「車、見ていこうか?」
 美圭は憔悴しきったようすで力なく首を横に振った。
 二人は重い足取りで廊下を歩く。そして玄関から出るとき、パトカーから制服警官といっしょに連れ立ってネクタイ姿には似合わないジャンパーを着こんだ男が歩いてくるのが目に入った。
「ああ、どうも」
「よう」
 お互いに挨拶を交わして後、男が尋ねてくる。「どうしてこんなところに。そちらは?」
「例の事故の、佐々木さんの娘さんですよ。その後の捜査内容について交通捜査課の方に訊きにきましてね」
「そうか、どうもこの度はとんだことで。お悔やみ申し上げます」
 美圭もそれに応じて礼をした。
「ほら、ときたま52で俺を呼んでくるJR1WZ×、関口さんだよ。ここの刑事さんをしてるって話したことがあったろう」
「ああ・・」
 とだけ美圭はうなづくと、背を向けてそのまま玄関の方に足を向けた。
 萩野や佐々木のグループは432.52をクラブチャンネルにしていたが、関口のグループは60KHz上の432.58をクラブチャンネルにしていた。二つのグループは直接交歓することはなく、萩野と関口が個人的な知り合いのせいで気が向くと相手方の周波数に出ていっては呼び出しをしていた。
 その関口と知り合うきっかけは、ひょんなことからだった。萩野が住むマンションの一室に空き巣が入り、その捜査の聞きこみに訪れた関口が事務所のトランシーバーを見つけてハム談義となったのだ。話しこんでいくうち、年は関口の方がひと回り上ながらも同じ大学の先輩であることがわかり、さらには学部学科も同じところを卒業したことがわかった。お互い独り身の気楽さも手伝って、時間があると一杯飲み交わすあいだ柄になっていた。
「それじゃ、またお空ででも」
 萩野は苦笑しながら美圭のあとを追った。
 それからの数日後のこと、事務所に珍客が訪れた。仕事からもどるとタバコをぷかぷかやって待つひとりの男がいたのだ。
「あ、どうも。鍵がかかってなかったものですから勝手に待たしてもらいました。その節はいろいろお世話になりました」
 葬式のときなにかと手伝ってくれた佐々木の同僚の刈谷課長だった。いや、正しくは葬式の前日、急きょ設計部長代理の辞令を受けたとかで、そのことを美圭と母親に申し訳なさそうに語っていた。
「いいえ、こちらこそお世話になりました」
「この近くに野暮用がありましてね。ついでといったらなんですけど、先ほど佐々木君のところに焼香に寄りましてその帰りなんですよ。ちょっと挨拶だけでもと思ったものですから」
「それはどうも、ごていねいに。私は初七日のおりに線香をあげてきたきりいってないんですが、奥さんのようすはどうでしたか?」
「まるで元気がなかったですねえ。あのようすだと完全に立ち直るのにはまだしばらく時間がかかりそうですね。ああ、それからこれを」
 刈谷はそう言って名刺を差し出した。葬式のときにももらっているので、またばかていねいな、などと思いながらも受け取ると、この前の肩書きには“製造部第一課長”とあったのが、今度は”設計部長”と記されてあった。「代理がとれまして、正式の部長のなったものですから」
 笑みを浮かべはしたものの、どこか力なく両肩を落としている。
「それはよかったですね。おめでとうございます」
「ええ。奥さんもそう言ってくれたんですが、なにしろ佐々木君が亡くなってのことですからねえ。黙っててもいずれわかることですから、霊前で報告はしたんですけどね。出世したんですからうれしくないといったら嘘になりますが、複雑な心境というやつですねえ」
「あくまで結果としてのことなんですから気にすることはありませんよ。いずれは誰かがなるものでしょうし、それに会社としては部長ポストを空白にしておいたのではいろいろ仕事に差し支えるんでしょうからね」
「そう言っていただければ少しは気が楽になります。ところで葬式のとき、娘さんが気になることを言ってたでしょう。あれ、ほんとにそんなことがあるんですか?」
「ああ、佐々木さんが事故じゃなくて殺されたってことですね。刈谷さんにも言ったんですか。ち、しょうがないヤツ」
 あっ、と思って言い方を変える。「いえね、あれは本人の思いこみに過ぎませんでね。女の子ですし、なによりもまだ高校生ですよ。父親が急死したわけですから無理からぬところがあるんです。駒沢署に交通課ではないんですが、別の課にハムをやっている知り合いの刑事がいるものですから、個人的にその人にも念のために調べてもらったんですよ」
「へえ、お知り合いに警察の方がいらっしゃるんですか。それでどうでした?」
「ブレーキ系統などをみたようですけど、疑問の余地なしってことですよ。要するに交通事故に過ぎないんです。美圭もそれで渋々ながらもやっと納得してくれたようですね」
「ふーん、それはよかったですねえ」
 刈谷は穏やかな笑みを浮かべながら答えた。
「ええ、いつまでもありもしないことにこだわっていたのでは精神的によくありませんからね。ましてやこれからは大学受験も控えていることでもありますしね」
「そうですよねえ」
 笑みを絶やすことなく刈谷はうなづくと、机の上のタバコとライターを手にとって立ち上がった。「それじゃ私はこれで。社長から、佐々木君の奥さんと娘さんのことはしばらくは設計部の方でめんどうみてやるように言われてるものですから、なにかあればすぐ部下をこさせるようにしますので御一報いただければと思います。私も時間があるときには寄ってみますのでよろしくお願いします」
 丁重に礼をして、扉を閉めるときには再度頭を下げて出ていった。