4 ダイイングメッセージ  その1

 何気なくダイヤルを回して52の周波数から下方にワッチしていくと、432.30を過ぎたところで奇妙な電波を受信した。萩野は気になっていき過ぎたダイヤルをもどし、30に合わせた。
<ううっ・・。ああ・・、うっうっ・・・・>
 悶えているときの呻き声のような音声が流れているのだ。
 最近のアマチュア無線運用の乱れには目を覆いたくものがあるが、そんな中にアダルトビデオの音声を流して喜んでいる不届き者がいる。聞いた瞬間にはそのたぐいかと思ったが、いかにも息苦しそうな言い方は真に迫っているのだ。
 そのままワッチしていると音声が乗らない無変調キャリアになったが、数秒で途切れてしまった。呼びかけてみようかとも思ったが、単なるいたずらならばかばかしい思いをするだけだ。マイクを握ってどうしようか迷っているうち、またキャリアが入ってきた。
<ううっ。ちくしょう、だまされた。救急車を・・・>
 今度は救急車という言葉がはっきり聞き取れた。
<どうかしましたか? こちらJM1QK×、世田谷固定です、どうぞ>
 固唾を飲んで応答を待ったが、なんの反応もない。念のためスケルチを開放してワッチしてみるが、ホワイトノイズ以外なにも聞こえてこない。萩野は適当に時間をあけて二度、三度と呼びかけたが、それっきり液晶表示のSメーターが振れることはなかった。
 だが少し間があいた後、フルスケールのキャリアが飛びこんでくる。
<JM1QK×、JE1TL×。入感してましたら応答ください、どうぞ>
<はい、JE1TL×、JM1QK×。さきほどのおかしな電波、そちらにも入ってましたか?>
<ええ、いたずらにしては手がこんでますしね。ほんとうだったら警察に通報しないといけませんし、どうしたものでしょうかねえ。こちら町田なんですが59プラスでしたね。そちらにはどれぐらいで入ってましたか?>
<5か6ぐらいです。若干揺れてましたからモービルかもしれませんね。こちらのアンテナは二列二段スタックで、ビームは北に向けてます。そちらはどちらを向いてますか?>
<いいえ、三段のGPです。高さは二十メータほどありますしロケーションもまあまあのところなものですから、けっこうあちこち入ってはくるんですが59プラスですからね。この近くだと思います>
<わかりました。ちょっとほかにもワッチしてた局がないか聞いてみますね。こちらJE1TL×、エンド、JM1QK×。ワッチしている局がありましたらコールください。スタンディングバイ>
<7N1DV×、昭島固定です>
<了解、ほかにありませんか?>
 応答はなく、結局三局が聞いていたようだ。<7N1DV×、JM1QK×。そちらにはどんなようすで入感してましたか?>
<そうですね、S3ぐらいでしたね。ビームは東側に向いてます。サイドの切れはいいものですからね。真南方向の八王子とか厚木方面の弱い電波はほとんど入らなくなりますから、やはりここと都内のあいだの多摩地区じゃないでしょうか? 各局、7N1DV×、どうぞ>
<了解です。それじゃ、私の知り合いに警察官をやっているハムがいますので、その方に連絡をとってみます。これでいったん引っこみますが、ワッチはしてますのでまた聞こえるようなことがありましたら呼んでください。JE1TL×、7N1DV×。こちらJM1QK×。ありがとうございました>

八木アンテナ

 高揚した気持ちを押さえぎみにそれだけ言うと、マイクを受話器に持ち換える。さっそく関口の自宅に電話を入れたが、きょうは署に泊まりということでそちらに電話を入れ直した。
 関口は寝るにはまだ早過ぎる時間なのだが仮眠に入っていたのか、かすれた声で応対に出た。はじめのうちこそ萩野の話しに「ふんふん」と乗ってきたが、ひととおり話し終えると冷めたようすで言う。
「うーん、それだけではなあ。たちの悪いいたずらかもしれないし、なによりも場所が特定できてないわけだろう。まあ、警ら中のパトカーに注意するよう連絡はしておくよ。あとはどうしようもないから、またなにかあったら電話くれないかい」
 それまで警察官の一員にでもなったつもりで話していたのが一挙にしぼんでしまったが、電話をおいて冷静に考えてみれば関口の言うとおりだった。萩野は気を取り直し、急いでトランシーバーからアンテナコネクターを取り外すと部屋に持ち帰った。部屋でやるのはHFだけでUHFまでやることはない。ただ、同軸ケーブルは切換器を取り付けて部屋と事務所に分岐してあるので、トランシーバーがあればQSOはできるのだった。
 トランシーバーはひと晩中火を入れたままにして、万一の呼びかけにいつでも出れるようにしておいたが、結局なにも音沙汰なしで朝を迎えた。気がつくと玄関をドンドン叩く者がいる。時計を見ると、まだ夜が明けきっていない六時だ。萩野は眠い目を擦り、いやいやながら起きていってドアを開けた。
「いよー、おはようさん」
 なんとそこには無精髭をぼりぼりかいている関口が立っていた。
「な、なんですかあ?」
「そう、邪険にしなくたっていいだろうが。ほらよ、これで目を覚ましてくれや」
 関口は手に持っていた缶コーヒーを投げつけてきた。
「うわ、あちっ、ちっち・・」
「昨日の夜に電話をくれた件なんだけどさ。その電波の主と思える人物が一時間ほど前、稲城市の路上に駐車してある車の中で発見されたんだ。それも死体でさ。それであらためて話しを聞こうと思ってさ」
「え、そうだったんですか。じゃ、やっぱりいたずらではなかったんですね」
「いや、二つの事件がイコールとはまだ断定できないけどさ。それでハギさん、事件解決に協力してもらいたいんだ。まだ仕事を始める時間じゃないね?」
 わんぱく坊主が相手の出方を探るような目付きで訊いてくる。
「そりゃいいですけど、なにをするんですか?」
 萩野も寝惚け眼から、興味津々の目になって訊き返した。
「これから現場にいくんだけど、ハギさんにも付き合ってもらいたいんだ。現場を見てもらった方がなにかしら手掛かりになる材料を見つけられるかもしれないからね」
「ええ、かまいませんが、そんなところに素人がいってもいいんですか?」
「俺がついてるから平気さ。それとハギさんのほかにも二局が聞いてたって言ってたけど、それのコールサインはわかるかい?」
ログを見ればすぐにわかりますよ。持ってきますか?」
「ああ、頼むよ。いや、ほんというと署のパトカーは帰してしまったから、断られたらどうしようかと思ってたんだ。じゃ、下で待ってるから」
 関口は満足そうにニヤッとすると、歩きながら缶コーヒーをごくごくやって階段を降りていった。
 萩野はそそくさと着替え、ビールのつまみにした残りものの割きイカを頬張りながら部屋を出る。駐車場では関口がタバコを吹かし、乗用車の方に尻をついて待っていた。
「この車でいいのかい?」
「ええ、軽トラじゃ時間がかかるでしょう。だいたいにして刑事はすぐに現場に駆けつけるものなんじゃないですか?」
「もちろん所轄の連中は飛んでいってるさ。こっちはハギさんから通報を受けたということと、ハムということで応援を頼まれているだけのことだからね。警官は警察無線をやってるわりにはハムが少ないからなあ。貴重な存在ってわけだ」
「毎日警察無線をやってて、プライベートにまで無線をやる必要がないからでしょう」
「悪かったね、物好きで」
 萩野を睨みつけながら言ったが、目は笑っていた。「稲城市の、多摩川をはさんで競艇場の向い側あたりにいってくれるかい?」
「わかりました。世田谷通りから橋を渡って川崎街道に入りましょう。あ、これ」
 萩野は思い出したようにログを渡した。
「いちばん最後の二局がそうですよ。そのときの各局のSメーターの振れ具合いから多摩地区のどこかではないか、という話しにはなってたんですけどね。だいたい当たりましたねえ」
「うむ、百パーセント断定するにはもう少し材料がほしいけどね。通信時刻は二十時四十三分か。例のうめき声というのは、この数分前ということだね?」
「せいぜい一、二分前というところですよ。それで死因はなんなんですか?」
「まだ詳しくは報告を受けてないんだが、刃物で胸をひと突きってことだね。新聞配達の学生が発見したらしいけどね。被害者の話したことでなにか変わったこととか、バックノイズに特徴のある音が入ってたなんてことはないかね?」
「うーん、変わったことっていっても死ぬ寸前のことなんでしょうからねえ。あえていえば全部がそうだってことになるのかなあ」
「声はどんな感じだったかな?」
「普通の男の声でしたけどねえ。少しかすれていた感じがありましたけど苦しいせいだったと思いますからねえ」
「これ、細かい周波数が書いてないけど覚えてるかい?」
 関口は、430とだけ書いてあるログの周波数欄を指差して言った。キロヘルツ単位の周波数までなんのために必要なのか、萩野は怪訝に思いながら答える。
「432.30ですよ。52から下向きにダイヤルを回して、きれのいい数字でしたからはっきり覚えてますよ」
 その数字を関口はボールペンで、萩野がえんぴつで書いた数字の上になぞった。
 車は時間が早いせいと下り線ということもあってスムーズに走った。多摩川を渡り川崎街道を北上すると十五分ほどで現場に到着した。