5 事故の究明  その2

 ガラスには蛍光灯の灯りが反射して見えづらかったが、萩野も目を凝らして見やると扉がすっーと開いた。そこにはなんと、青白いを顔をした美圭がいた。
「わたしの執念深さってなんのこと? ここにこられるのが迷惑ならはっきりそう言ってよ。もう二度とこないから」
 と、二十センチほど開いた扉の隙間から、いまにも泣きだしそうな顔で言った。
「なにいってんだ、誤解だよ。だいたいにしてこんな時間にどうしたんだ?」
「さっきのようすがおかしいからきてみたのよ。そしたらこうだもの、うっ・・」
 ついには涙目になって言うのだった。
 関口が横から笑いを押し殺して言う。
「くくっ、悪い男だな。こんなかわいい子を泣かせるなんて。ハギさん、隣りへいって冷たいものでも飲みながら頭を冷やした上で話したらどうだい。そのあいだに修理工場に電話を入れておくからさ。番号を教えてくれるかい?」
「そうですね。ええと、そこの電話番号簿に載ってますから。じゃ、いこうか」
 萩野は美圭を促すと外へ出て久しぶりに喫茶店に入った。美圭といっしょに入るのは佐々木の事故からは初めてのことだった。
 こうなると隠しておくわけにはいかない。萩野は昨晩からこれまでの経過と、佐々木の事故の可能性について説明した。最初こそぐずっていたものの、美圭はすぐに目を輝かせて話しに聞き入ってくる。
「やっぱりそうだったのね」
 と、我が意を得たという表情に萩野は、
「そういうこともありうるということさ。決まったわけじゃないよ」
 とたしなめたが、もう美圭は聞き入れるようすではなかった。
 頼んだオレンジジュースがまだこないうちに、関口が慌ただしく入ってきた。
「いま工場に電話したら、とっくに横浜の解体業者に引き渡したっていうんだよ。で、その業者にも電話して訊いてみたら、既につぶ美してしまったかもしれないって言うんだ」
「ええっー!」
 萩野よりも美圭が驚きの声をあげた。
「いや、まだはっきりしたわけじゃないんだ。どの車を解体したかなんていちいちチェックしてるわけじゃないから、調べたいんならこっちにきて勝手に確かめてくれって言うんでさ。これからいってみようと思う。ハギさんにも付き合ってもらえないかい」
 萩野が返事をするより先に、美圭が叫ぶように言う。
「わたしもいくわ」
「なに言ってるんだ、こんな時間だぞ。それに明日は模擬試験だろうが」
「バンパーに掴まってでも絶対いくわよ」
 美圭が目をむいて萩野を睨みつけているのを、関口が笑いながら美圭の横にすわった。
「よし、ハギさんはここにおいて二人だけでいこう。どうせ、こんな状況で試験勉強なんて手につくわけないものな」
 すると美圭もわざとらしく関口の腕をとって言う。
「ふふーん、そうよね。わからず屋を相手してもしょうがないものね。ね、それだったら少し腹ごしらえもしないと。なにか食べるものも頼みましょう」
 萩野は苦り切って、ふっーと大きな溜息をつきながら窓の外を見やる。美圭は反射したガラスの中で視線が合うと、小さく舌を出して「アッカンベエ」をやった。
 第三京浜道路を通って横浜市港北区の解体業者の工場に着いたときには、時計の針は十時を指していた。あらかじめ事務所で待っていてくれた社長は、あらくれ刑事どもでも連想していたのか美圭の存在には目を丸くしたが、愛想よくおいてありそうな場所を案内してくれた。
 二基の照明を点灯してくれたものの、薄暗い中のだだっ広い荒れ地に、そこかしこに無造作に積み重ねられた廃車の山から一台の車を探し出そうというのは気が遠くなりそうな作業のように思われた。
「さあて、グレーのセダンだったな。じゃ、俺は向こうから見ていくから二人はここから見ていくといい。崩れたりしたら大変だから触れないようにした方がいいよ」
 関口は用意してきた懐中電灯で足元を照らしながら、照明があたっていない暗闇の方向に消えていった。
「人がいなくなっちゃうとなんか怖いわねえ。まさしく車の墓場って感じね」
「うん。さて、それじゃこの列から順番に見ていこうか」
 通路になっている筋は照明の恩恵に預かれるが、一歩廃車の列の中に入ってしまうと明かりはほとんど差しこまない。懐中電灯で確かめながら一歩一歩足を踏みこんでいかないと、よけいなものを踏みつけてしまいそうだ。しかも身体をよろよろさせて積み上げられた廃車に寄りかかろうものなら、グラリ崩れてきてその下敷きになってしまいそうだった。
 廃車は整然と並べられているわけではなく、多少は無理をして車体と車体の数十センチの隙間の中に身体を入れて覗きこまないことには見えないような場所も出てくる。その度に恐る恐る足を踏み入れては懐中電灯で照らして一台一台確認していくのだった。
 三十分もしたころ、かなり離れたところから関口の声がする。
「おーい、ハギさん。見つかったよ、こっちへきてくれえ」
 その方向に注意深く歩いていくと、関口がぐるぐる回す懐中電灯の明かりが目に入った。
「ええと、どこですか?」
「これじゃないか。アンテナ基台が残ってるからさ」
 関口が照らし出した車は、うまい具合いに一台だけポツンとおいてあった。確かに左前部のつぶれ方は見覚えのある車体だった。
「ふー、そうですね。残っててよかったですよ」
 ひと息つくに一服しようとすると、横では美圭が両手を合わせていた。つられて二人も手を合わせる。朝に続いて、きょう二度目の合掌だった。

事故車

「トランシーバーがなくなってる。誰か持っていってしまったみたいだな。まだ使えるようだったからなあ」
「いいわよ、あんなの。縁起が悪くて使う気なんかおこらないから」
 美圭は助手席からのぞきこみ始めたが、萩野と関口はボンネットを開けエンジンルームを点検にかかった。
 懐中電灯で照らしまくって、隅から隅まで目を皿のようにして見てみた。二人ともそれほどメカに詳しいわけではないが、特にエンジン周りを改造したような形跡は見られず、DTMFもどきの受信装置とやらも、どこにも取り付けられているようすはなかった。
「関口さん、普通電気廻りの回路とか配線はダッシュボードの中とか下あたりにセットしませんか?」
「ああ、それもそうだなあ」
 自嘲ぎみになって言う萩野に、関口も苦笑いで答えた。
「でも、バッテリーは破損してませんし、実験は支障なくできるかもしれませんね」
 事故の衝撃で左側のボディと車輪はつぶれてしまってはいるものの、電気系統はいかれているようすはなかった。
「美圭、家にスペアーキーはおいてないのかな?」
「うん、あると思う。お母さんに訊いてみるわ」
 美圭は助手席に腰を下ろして懐中電灯で足元を照らし、なにやら見入っている。「ねえ、この奥の方にあるものなにかしら?」
 関口が助手席の側に廻り、足元の奥を覗いて見る。ゴムマットをめくったそこには横のボディが突き出し、床がいくぶん捲り上がったところに二つの黒いプラスチックケースがおかれてあった。
「ああ、あった。これがエンジンを制御してる電子回路が入ってるユニットさ。メーカーとか車種にもよるようだけど、だいたいこの辺りか座席の下とかダッシュボードの中に収納されてるのさ」
「じゃ、あとは受信回路を見付けたら、関口さんの予想が裏付けられることになりますね」
 関口は萩野の言葉は耳に入らぬかのように頭をダッシュボードの下に突っこみ、プラスチックケースに懐中電灯をあてて額を擦るようにしてまじまじと見入っていた。
 そして頭を外に出すと息を思いっきり吐き、満面に笑みを浮かべて一気に話し始める。
「もう見付かったよ。二つのうち一つは自作のものさ。いいかい、よく見てごらん。左側のボックスはビス一本なくてきれいに仕上がってるけど、右側のは上からナットで止められてリード線が出てる穴も開けられ方が雑だろう。要するに右側のは自作であとから取り付けられたってことさ」
「じゃあ、その中にDTMFと似たような回路がセットされてるってことですか?」
「調べてみないとなんともいえないけど、その可能性は高いね。幸いコードは断線してるようすがないし、あとは衝突の際の衝撃で壊れていなければいいんだがね。明日、署に運んで実験してみよう。あのときと同じ周波数を出してみてエンジンが加速するようであれば、これはもう交通事故ではなくて殺人だね」
 刑事としての習性がそうさせるのか、関口は最後には声高に言って胸を張った。
「ああ、やっぱり」
 美圭はしゃがみこんで両手で顔を覆った。
「犯人はきっとあげてみせるよ」
 関口は得意満面な笑顔で言ったが、美圭はますます身体を小さくしてうずくまるばかりだ。萩野が首を振ってたしなめると、関口はようやく気づき頭をかいた。萩野は美圭を抱きかかえるようにして、椅子代わりの大型車のガソリンタンクらしきものにすわらせた。
「こんな時間ですからあとは明日にしませんか」
 時計の針は、既に零時を回っていた。
「そうだね、車はこのままにしておいてもらって引き上げるとするか。これも稲城の事件も、一日も早く解決に迎ってくれればいいんだがなあ」
 関口の話し方は完全に事故ではなく事件と決めつけていた。
「お父さんを殺した犯人はすぐに見つかるわ」
 美圭が根を詰めたように言った。ライトの明かりが美圭の横っ面を舐めるように照らし出している。長く垂れた髪がよけいに不気味さを醸し出し、それこそ妖怪でも取り付いたかのように見える。
「不法無線をしたダンプの運転手のことを言ってるのか?」
 美圭はだまって顎をこっくり引いた。「どう思います?」
 関口は顔を上を向け、小首を傾げるようにして、
「管轄は小金井北署だったね。とにかく調べてみるよ」
 と言った。