6 虹が出るトランシーバー  その1

「ああ、だめ。きょうの試験はめろめろよ」
 うつらうつらしながら机にふせっていると、美圭がわざとらしくよたよたした足どりで入ってきた。
「ふふ、あまり寝てないんだろう。なんだったら上で横になってくるか」
「大丈夫、それより関口さんから連絡はあったの?」
「いや、それがまだなんだよ。仕事もなかったからここでずっーとこうして待ってるんだけどさあ」
 時計は既に二時を指していた。「やっぱりそう簡単にはいかないんだろうなあ」
「そうよねえ、車もあれだけボロボロになっちゃってたし」
 そうこう言ってるうちに、電話機の電子ホンが鳴った。それっとばかりに受話器をとる。
「はい、猫の手サービス。ああ、待ってたんですよ。それで実験はどうなりましたか?」
『見事なもんだね。よくあんなものがつくれたと思うよ。たぶん受信感度が関係していると思うんだけど、車外からの電波では作動しなくて車内にトランシーバーをおいて、52の三つの電波を順次周波数を上げて発射していくと、438.52の電波を出したとたんにスロットルが全開してエンジンが吹き上がったよ』
「それじゃあ、佐々木さんはまちがいなく」
 そこまで言いかけて萩野は口をつぐんだ。美圭は表情ひとつ変えず受話器に耳を当てるようにして聞き入っている。
『九十九パーセントまちがいないね。きっと佐々木さんは咄嗟のことで、ブレーキを踏むとかオートマチックのギヤを外すことができなかったんだろうね。先ほど、こっちにも佐々木さんの事故を殺人事件として扱う捜査本部ができてね。稲城の事件ともなんらかの関係があるだろうとのことで、稲城西署と連携してやっていくことになったよ。しばらくはここと向こうとをいったりきたりで忙しくなりそうだね』
「そうですか。やはりエンジン制御のコンピューターに手が加えてあったわけですか?」
『制御回路には違いないんだけど、昨日思ってたエンジンの集中制御用のコンピューターじゃなかったよ。主に高速道路でスピードを一定に保って走るオートスピードという装置があるね。その電子回路の出力を制御してたのさ』
「はあーん?」
 簡単に言われても、なにがなんだかさっぱりわからない。
『オートスピード装置は走行中にスイッチが入るとそのときの速度データを記憶して、そのデータよりも遅くなれば自動的にスロットルを開いて速度を増してやり、逆に車の速度が速くなればスロットルを閉じて遅くしてやって、車の速さを一定に保つというものなんだ。スロットルからはアクセルにつながれているワイヤーとは別にもう一本、サーボモーターに接続されているワイヤーが出てる。そのサーボがオートスピード回路によってコントロールされているわけだ。ここまでいいかい?』
「ええ」
『佐々木さんの車の場合にはその回路に高周波受信機とDTMF回路を、いや、DTMFみたいな回路といった方がいいね。その二つを組み合わせた電子回路がオートスピード回路に直結してあって、記憶速度が強制的にかなり高い速度のデータが入力されるように細工されているようなんだ。詳しいことは車を科学警察研究所に送って調べてもらう。だから一般道路で三つの52の周波数を感知するように仕向けられると、当然オートスピード回路はその速度差を埋めようとするからアクセルを思い切り踏みこんだのと同じ状態になるってわけだ』
「はあ、なるほど」
 萩野は横目で美圭の顔色を伺っていたが、瞬きひとつせずに聞き入っている。『それでさ。これから例のダンプの運転手に事情聴取にいくところなんだけど、その会話を録音してそっちに持っていくから、佐々木さんが事故にあったときQSOをしてた相手局と同じ声かどうか確かめてほしいんだ』
「わかりました。きょうは仕事が入ってませんから、ずっとここか上にいますよ」
『そう、助かるよ。美圭ちゃんまだきてないかな?』
「ハーイ、いますよ」
『はは、元気そうでよかったよ。美圭ちゃんにもイタズラ電話の主と似ているかどうか聞いてもらいたいんだ。できるだけ早めにいくようにするから待っててくれるかい?』
「ええ、何時でも待ってますから」
 美圭は受話器をおいてから、「お母さんのためにも」と、独り言のようにつぶやいた。
 関口は予想していたよりも早めに、NHKのニュースが始まる七時ごろにはきびきびしたようすでやってきた。だが、昨夜から飛び跳ねているせいか、さすがに顔全体に広がった疲労の色までは隠せなかった。
「結論からいうと、イタズラ電話の犯人はやはり奴の仕業だったが、殺人の方はほぼシロという結果が出た」
「どうしてえ?」
 美圭がありったけの不満をぶちまけるように大声で叫んだ。
「まあまあ、時間はたっぷりあるんだからおいおい話すよ。それより腹が減ってさ。カレーかい? 俺にももらえるかな」
 それまで関口の一挙一動に固唾を飲むようにして見つめていた二人は、その言葉で我に帰り、美圭は席を立つと関口の食事の用意を始めた。
「とりあえずこれを聞いてくれるかい?」
 関口はバッグの中からマイクロカセットテレコを出すと、スイッチを押した。

IC-3700

『あの日は国道六号線を通って、産業廃棄物を常陸太田市近くの山の中まで捨てにいってたんですよ。ところが途中カンカン踊りに捕まってしまって、一度ですむところを二度走って挙句に罰金までとられて踏んだり蹴ったりの一日でしたからね。アパートにふてくされて帰ってきて夜遅くのテレビを見ていたら、ニュースで佐々木さんが事故で死んだっていうじゃないですか。だからはっきり覚えてるんですよ。最初はバチがあたったんだぐらいにザマアみろって思ってましたけどね。冷静になって考えてみればそこまではなあって、思うようになりましたよ。俺はなんの関係もありませんよ。嘘だと思うんでしたらキップは失くしてしまいましたけど、茨城県警に調べてもらえばわかるはずですよ』
 美圭がカレーとサラダ、それに飲み物を関口の前に並べた。
「ありがとう、うまそうだね。で、ハギさん、どうだい?」
「いや、まったく違いますね。あのとき聞いた声はどこかコンピューターの合成音的な響きがあって、年のわりにはキーの高い声でした。こんな太い声じゃありませんでしたね」
「ふむ、美圭ちゃんはどうだい?」
「そっくりだわ」
「まあ、本人が認めたぐらいだから当然だけどね。始めのうちはとぼけていたんだけど、殺人容疑がかかっていることを告げたらビビって呆気なく吐いたよ。何度かイタズラしてたらそれで気が済んだとは言ってたけどね」
「お父さんを殺してないというのは、どうしてわかったんですか?」
「いまのテープで聞いただろうけど、水戸街道を走っているときに茨城県警の貨物積載の重量制限の取り締まりに引っ掛かっているんだよ。調べてみたらそのとおりでさ。時間も佐々木さんの事故の三十分前のことなんだ。石岡市の先でのことだから、そこから三十分で世田谷までもどって犯行におよぶっていうのはまず考えられないことだろう。残念ながらアリバイ成立ってことさ。それとハギさんの証言も付け加えておこうか」
 美圭が恨めしそうな目で萩野を見た。
「いやあ、事実は事実だからさ」
 困り果てたようすの萩野を横目に、関口がサラダを頬張りながら言う。
「うん、なかなかいけるよ、これ。それにさ、ついでに言っとけば最初から奴が殺しの犯人だとは思ってなかったんだ」
「どういうことですか?」
「経歴を調べてみたら商業高校を出て何年か営業をやった後、運転手に職替えしてる。俺にしてもハギさんにしても、美圭ちゃんにしてもだけどさ。ハムを何年かやっていれば無線に関する知識は多少のものは自然と身につく。だからトランシーバーとほかの附属機器をケーブルでつないだり、アンテナを組み立てたりとか、いわばソフトに関することはある程度はやれる。しかしだよ、無線機をつくったり回路を設計するなんて真似はできるかい?」
「そりゃ、できませんけど」
 関口の言わんとすることがもうひとつよくわからず、萩野と美圭は顔を見合わせた。
「それは奴らにしても同じことだと思うんだ。ハイパワーのCB無線のセットは、しょせん販売店の連中や仲間の意見を聞いてあれやこれやと機械を揃えていって組上げたに過ぎないんだ。ところが佐々木さんの車に細工した奴は違う。オートスピード回路とDTMF回路のようなものを設計して作り上げ、二つの回路をドッキングするという、かなり高度な電子知識をもった奴なんだよ。商業高校を出て、仲間うちわでのCB無線を楽しんでいるような奴にそんな器用なことができると思うかい」
「はあ、そう言われてみれば」
「共犯という線が考えられないではないから、一応これからもマークはしていくけど十中八九シロだね」
「すると、いまところ有力な手掛かりはなにもないんですか?」
「うーむ、そういうことになるかなあ。ただ受信装置のカバーを外してみたら、ICとかLSIが多用されているんだ。ああいうものは、どこの電気屋でも売っているってものじゃないだろう。秋葉原とか通信販売の店とか、一般の電気商品に比べれば、ぐっと範囲は狭められると思う。そのへんから地道な捜査をやっていくしかないね」
「長期戦になりそうですね」
「ああ。とはいっても、少しでもいいからほかに手掛かりがあったらほしいわけなんだけど、ほかにお父さんに恨みとか妬みをもってるような奴はいなかったかい?」
 美圭が、ふっーと溜息をついてから言う。
「わたしの知る限り、そんな人はいません。外でのことは全然知らないし、でも表と裏のあるような人でもなかったから、そういうことは考えにくいです」
「そうだな。クラブのメンバーの面倒見もよかったし、人当たりも最高だし、まちがっても恨みをかうような人じゃないんだけどなあ。会社でも葬式のときには社長さんはじめあれだけの人がきてくれたんだから、信望は厚い人だと思いますけどねえ」
 萩野はそう言って関口に水を向けた。
「うん、会社でのことはさっそく明日から事情を聞いて廻るよ。とにかく、犯人はなにがしかの形で佐々木さんと知り合っている人物なんだ。車が盗まれたときとか、最後の交信となったときのことなど、なんでもいいから気がついたことがあったら教えてくれないかな?」
 それは関口に言われるまでもないことで、萩野と美圭はテーブルに視線を落とし、じっと考えこむ羽目になった。