6 虹が出るトランシーバー  その2

 関口がひととおり食べ終えて、コップの水を飲んでテーブルにおいたあと、美圭がぼそっとつぶやく。
「知り合い!?」
「なにか思い出した?」
 関口が色めきたったように、身を乗り出して尋ねた。
「コンビニエンスストアーの前で車を盗まれたときのことなんですけどね。お店から出たところでお父さんが走り過ぎていった車を見て、見たことのある車だなあって言ったの。なにか手掛かりになるかしら?」
「ふーん、それだけではなんとも言えないなあ。その車、どんな車種だったか覚えてる?」
「名前までは知りません。夕方で薄暗くなってたんですけど、確か白くて後ろに荷物の積めるタイプの車でした」
「白のバンか。それから一週間たって狛江の駐車場においてあるのが発見されたんだったね。トランシーバー以外にも失くなっていたものはあったんだっけ?」
「デパートで買ったばかりの、わたしのワンピース。首都高速の回数券、それに小銭。絶対あのときの学生風の男よ」
「ああ、ベンチにすわって美圭をじっと見てたっていう男か。美圭の第六感は当たるからなあ、ハハ」
 萩野が冷やかしぎみに言った。
「その男、佐々木さんの知り合いってことではないんだね?」
「もちろんです」
 美圭は関口の質問に、膨れっ面になって言った。
「じっと見てたというのは、美圭ちゃんに感心をもってのことかなのかな?」
 今度は満更でもないようすで笑みを浮かべて言う。
「うーん、そういうこともあったかもしれませんけど、それよりマイクをもって話してた方に興味があったみたいです」
「ふむ、悪人そうに見えたかい?」
「いいえ、見るからにひよわそうな貧乏学生って感じでした」
 萩野が横でくすくす笑っていたが、関口はそんなことは眼中にも入らないようすで首をひねった。
「そんな奴が、人の命を奪ってしまうようなあんな大それたことをやるだろうか。トランシーバーは高級タイプのものかい?」
「いいえ、もう十年以上も使ってた古いものです」
「ふーむ、その男が車泥棒としてほかに共犯がいるということか。ただし、そうなるとその男の行動は理解に苦しむね。最初から佐々木さんをどうこうしようというのが目的なら、美圭ちゃんにはっきり顔を覚えられてしまうような挙動はとらないものだけどね」
 萩野が訊く。
「それじゃ、たまたま行きずりに佐々木さんの車を盗んでオートスピード回路に細工したってことですか?」
「いや、わざわざ佐々木さんを呼んでおいて回路を作動させてるんだから、明らかに計画的犯行だね」
「盗んだトランシーバーですけど、ひょっとしたらお空に出てて我々はいつもその電波を聞いてるのかもしれませんね。なんか腹立たしくなってきますねえ。各トランシーバーの電波に、虹みたいなそれぞれの決まった信号が出てれば一発でわかるんだけどなあ」
「ブフッ」
 関口が飲み物を口に含んだまま笑ったものだから、もう少しで吹き出しそうになった。「ふふ、虹とまでいかなくとも、パーソナル無線機みたいにそれぞれの機器特有の符号があればいいんだけどね」
 美圭が怪訝な顔で訊く。
「それ、なんですか?」
「パーソナル無線では不法行為をなくさせるために、トランシーバーの中のマイクロチップに個体の識別符号が焼き付けられてるんだ。電波を出すとその信号も送出されるようになってて、誰が電波を出したかすぐにわかる仕組みになってるのさ。もっともそれは簡単に改造できるものだから、当初の目的は達してないんだけどね」
 美圭は関口の説明がわかったのかわからないのか、声にはならない、ふーんといったようすで頬杖をつき視線を窓の外の夜空にやった。
 やがて美圭が顔をもどして言う。
レピーターに出ている局をワッチしてるとたまに調整不足なのかブーンていうトーン周波数が聞こえることがあるでしょう」
「うん」
 何事かと、二人して同時にうなづいた。
「あの周波数をなにか測定器で見ることはできないのかしら?」
「やろうと思えばやれるさ。オシロスコープで見ればいいんだから」
 萩野が、それがどうした、と言わんばかりに答えた。
「ああ、ブラウン管に波形が写るやつね。それで88.5ヘルツの周波数が確認できるの?」
「当然できるさ」
 と言いながら目は、自信なさそうに関口を向いていた。代わって関口が言う。

花

「ブラウン管にマス目が書いてあるだろう。横軸が時間になってて、ひと目盛りあたりが何百の一秒とか、何千の一秒とかいう設定になっている。波形の上と下の部分を一つづつ合わせた分が一ヘルツだからそれの時間を求めて、それから逆に一秒間あたり何ヘルツかを算出することによって周波数が読めるようになっているんだ」
「それじゃ、86.5ヘルツの周波数もわかるわけですね」
「もちろん!?」
 二人はまるで要領が得られず美圭の口からどんなことが出てくるのか、いくぶんいら立ちの表情を見せながら美圭を見守った。
「だったら、ほんとに盗まれたトランシーバーを割り出すことができるかもしれないわ。あのトランシーバーはレピーターができる前に出てた機械だから、トーンエンコーダーが付いてなくてデュプレックス運用もできないんです。それでお父さんは固定用に使っているトランシーバーと組み合わせて、エンコーダーを自作して試しにレピーターを起動させようとしたんです。でも自作した発振器がもうひとつで、どうしても二ヘルツ足りないとかでレピーターを起動させることができなかったんです。一度内臓したエンコーダーを外すのも面倒だというんで、そのまま入れたままになってるんです。だからあのトランシーバーは、電波を出している限りは86.5ヘルツのトーン周波数も発信してるはずなんです」
「・・・・・・!?」
 美圭の話しが終わっても、二人は息が詰ったまま言葉を出すことができなかった。互いに顔を見合わせ、ひと呼吸おいて唾をごくりと飲んでからだった。
「すごいぞ、美圭。それなら探すことができるかもしれない。メーカー製のトランシーバーはシンプレックス運用時にはほんどトーン周波数を発信するような構造にはなってないから、割り出すのはそう難しくないかもしれないぞ」
 興奮ぎみに話す萩野とは対象的に、関口が穏やかに言う。
「確かに、あまり手掛かりのないいまの状況の中では大きな材料だね。ただ水を差すようで悪いんだけど、犯人が東京周辺で運用していればだよ」
「ええ、わかってます。それと問題はオシロスコープをどうするかですね。佐々木さんの会社にならあると思いますけど借りてくるわけにもいかないだろうし、買うとしても測定器は高いからなあ」
「平気よ。お父さんが死んだおかげでうちはお金持ちになっちゃったから」
 美圭は真顔でそうつぶやいた。
「それは生命保険のことだね?」
 美圭がこっくりうなづくと、関口は溜息をついてから言葉を継いだ。「実はそのことで美圭ちゃんに断っておきたいことがあるんだ。一部の幹部だけなんだけど、お母さんを疑っている奴がいるんだよ。要するに保険金をせしめるために誰か男とグルになって佐々木さんを殺したんじゃないかってことさ」
「冗談でしょう!」
 そう叫んだのは萩野で、美圭は唖然となったまま関口の目を食い入るように見つめている。
「いや、俺はもちろんそんなことは露ほどにも考えてないよ。ただこれは捜査のセオリーでもあってね。そういうわけだから、明日にでもうちの若い者が事情を聞きにお母さんのところにいくと思うから驚かないようにね」
「だったらなおのこと、ぜがにひにでもコンビニの男を見付けないと」
 思いつめたようにして言う美圭に、二人は慰めの言葉もなかった。
 しばらくテレビから聞こえてくる歌手の歌声だけが虚しく響く中、関口が思い出したように言う。
「いいかい、こんなことを教えたなんていうのは絶対にないしょだからね。そうじゃないとこれだからさ」
 自分の喉元を絞める仕草で言う関口に、やっと美圭の顔がほころんだ。