AREA3  自殺

            その1
 受けると決めた以上、受験は一日でも早い方がいい。翌日には郵送による受験申請を済ませた。また、どっみち親には知られることなので、その夜夕飯を食べながらおそるおそる話してみた。母はいいとしても父には、そんなことをやってる暇があるんだったら大学にいくか働くことを考えろ、とでも言われるのかと思っていたら、意外にも父は前向きなことを言ってきた。
「なにか目標をたててやるのはいいことだ。いまのおまえにはそういうことも必要だろうからな」
 と、理解あふれる態度を示したのだ。そればかりか父自身も興味があるようなことを言った。
「家からだけじゃなくて、車にも無線機を積んで電波を出すことができるんだろう。それだったら家と車で交信ができるな。なにか用事があるときは車から言えば済むしなあ。よく配達の車なんかがやってるものな。あれはアマチュア無線とは違うんだろうけど、いずれにしても便利な世の中になったもんだ・・・・」
 勝手に決めつけられても困るが、父がその気になってくれるのであればそれにこしたことはない。正和ひとりでコソコソやれるような趣味ではないだけに、試験場への付き添い、経済的な負担、アンテナを建てる場所と、問題が一挙に解決する。
 しかも終いには、自分でもハムをやってみたいような素振りを見せたのだ。
「おれにも取れそうか?」
 父を相手に交信してもはじまらないが、とりあえずは大歓迎だった。
 受験勉強は順調に進んだ。法規はただテキストを読んで暗記していけばよかったが、無線工学はまともに理解できず眠くなってきた。そこで問題を一つやる度にテキストを開いて、自分なりに解説をつけていくという手法をとった。それでも理解できない問題が出てきたが、それは丸暗記で通した。週に一、二度立ち寄る亜香里に訊くこともあった。
「FMでは受信波がないとき、どうしてザッーという雑音が出るんだい?」
「周波数変調だからよ」
「どうして周波数変調だと雑音が出るわけ?」
 すると亜香里がいら立ったようすで言う。
「うーん、とにかくFM波の特性でそういうものなのよ」
 理解度という点ではさほど正和と大差なかった。ときにはからかい半分に、答えられるはずはないと承知していながら訊いてみる。
「電流と電子流が逆なのはどうして?」
「もう、そんなことまで知らないわよ。初級ハムの試験にそんなことまで出るわけないでしょう」
 これは高校のとき物理の先生にも訊いたことだ。先生からも、しどろもどろで納得できるような答えは返ってこなかった。
 ああでもこうでもないと頭を捻りながらの奮闘は続き、一ヶ月を過ぎたころには問題集のひととおりをやり終えた。毎日六、七時間、暇が為せる業とはいえ、大学受験のときでさえこれほどには勉強しなかった。腐りかけていた脳みそを再生するにはもってこいといえた。
 さらに二週間で復習を終えると、財団法人・無線従事者教育協会から取り寄せた模擬試験に挑戦した。その内容は、亜香里の持ってきた問題集の問題が編集し直されているだけのことで、亜香里の言うとおり、ほとんど過去問からの出題というのはまちがいなさそうだ。電波法規、無線工学それぞれ十二問中、誤答したのは二、三問だけで、合格ラインの八問正解はすっかり自信がついた。当初小学生が合格するというのにはほとほと感心したが、やってみればその
理由がわかった。
 試験まであと一週間となった日、亜香里がめずらしく学校を終えて夜九時を回ってからやってきた。
「きょうは隣りに泊まるから平気なの。お父さんがそろそろ1.9メガの感度がよくなるはずだからって、トランシーバーにしがみついてるわ」
「季節によって入り方が違うってことがあるんだ?」
「周波数によって違うわね。それに昼と夜、場所によっても違うしね。一般に高い周波数ほど夏場がよくて、低い周波数は冬場によくなるわ。電離層の状態がそのときどきによって変わるわけね。もっとも144メガとか430メガの電波は直進性が強くて、ほとんど電離層反射をしないから一年を通してだいたい同じね」
 亜香里のセーラー服はとうに白から紺に変わり、木々の紅葉も落ち葉になって地面に積もり始めていた。いつもならうっとおしい気持ちで、季節の変わり目をだらだらと眺めていたが、今年は特に意識することなく時間が通り過ぎていった。
「ねえ、これを見て」
 亜香里はカバンから一冊の月刊誌を取り出しすと、正和の前に広げた。
「ハム関係の雑誌?」
「そうよ、各メーカーの広告が載ってるの。ひと口にトランシーバーっていってもいろんな種類があるのよ。いまのうちから検討しといた方がいいでしょう」
「合格するかどうかもわからないのにまだ早過ぎるよ」
「それだけの実力があるんだらからまちがいないわよ。晴海の試験場は、合格すればその日のうちに従事者免許の申請ができるのよ。それから二、三週間で免許がくるわ。局免許はトランシーバーとかアンテナを用意しておかないと申請できないから、先にそろえておいた方がいいのよ。それでなくたって局免許がきたらすぐにでも電波を出したくなるんだから・・」
「はん、そんなものかな・・。局免許は申請してからどれぐらいでくるの?」
「二ヶ月近くかかるわね。その日が待ち遠しくてね。まだかまだかっていらいらするものよ、ふふ・・・・」
 亜香里は上を見遣り、昔を思い出すかのような目付きで言った。
「ずいぶん日にちがかかるもんだな。コンピューターがこれだけ普及してる時代なんだから、もっと早くならないのかな?」
「電気通信監理局でもスピードアップの努力はしてるようだけど、なにしろ開局する局数が多くて大変みたいね。特に関東地区はね」

トランシーバー

 広告をめくり、品定めよろしく無線機を一台一台見ていく。亜香里の言うとおり、値段も大きさもピンからキリまであり、どれがいいのか検討もつかない。解説にはやたら数字が並んでいるが、初めて見る正和にはまるで理解できない。わかるとすれば値段ぐらいなものだ。
「1.9から28っていうのは、1.9メガヘルツから28メガヘルツのバンドに出られるってことね。10Wとか25Wってあるのは出力電力のことね。4級の空中線電力は10Wまでだから、10Wタイプしかだめね。25Wは3級用ね」
「ああ、法規の問題にもあったね。それじゃ、あとで3級を取ったときのために、はじめから25Wタイプを買っておいたらだめかな?」
 すると亜香里はキッとした顔になって言う。
「ダメ。局免許で許された出力よりも大きな電力で電波を出すことを俗にオーバーパワーっていうんだけど、最近はそういうことをする人が多いのよ。立派な電波法違反だから罰金ぐらいにはなるかもよ。必要があるときは、簡単に終段の基盤を大きな出力のものに替えられるわ。申請書には器械の製造ナンバーを記載しなければならないんだけど、メーカーによっては製造ナンバーから出力がわかるようにしてあるわ。電監にバレたら免許が下りない可能性だってあるのよ」
「そういえばテレビのニュースで、トラックなんかで違法無線をしてたやつが捕まったとかいってたことがあったなあ・・」
「どうせなら50メガも出られるものにしたら。そんなに混んでないからゆっくり話せるし、わたしも出せるからいつでもやれるわよ」
「ふうん、ほかにはどの周波数に出れるの?」
「7、21と144、430ね」
「そう。おれもそこまでやれればいいんだけどなあ・・・・!?」
 と言いながら、父の上機嫌でハム試験の話しをしたときの笑顔を思い浮かべた。
「144と430は別にトランシーバーを買わないといけないから、はじめはHFだけでいいわよ」
「アンテナはどうしてる?」
「430用の八木アンテナを除いては、あとは垂直形のグランドプレーンだけね。マンションだから横に広げるのは無理なの。ここは敷地が充分広いからダイポールにするといいわ」
「ダイポールって、どういう形をしてるの?」
「お父さんの1.9メガ用みたいに、銅線を横に張るだけよ。ここだったらベランダに四、五メーターのポールを建てて、その先端から線をなるべく横に広げて下ろせばいいわ。そういうのをVの字の逆になるから、インバーテッドV型アンテナっていうの」
 亜香里は得意気に講釈をたれた。
「HF帯は全部がそれ一本だけでいいわけ?」
「いいえ、給電点は一ヶ所で済むけど、銅線は出したい周波数に応じて用意しないといけないわ。慣れるまでは国内局を相手にするつもりで、7メガと21メガ用の二本だけで充分だと思うわ。ようすがわかってきたらほかの周波数にも出れるようにすればいいじゃない。21はDXもけっこう入るしね」
「50メガはどうしたらいい?」
「50は八木アンテナを勧めるわ。それも指向性があるから横にするんじゃなくて縦に設置するといいわ。そうすればある一定方向に指向性ができはするんだけど、かつ、全方位に対しても有効なものになるの。ほんとはローテーターっていう器械で回転させるんだけど、値段が高いからね。生活の知恵ってところね。50メガは夏場にスポラディックE層っていって、VHF帯の周波数でも反射する特殊な電離層ができるのね。そうすると普段はQSOできないオーストラリアとか、ヨーロッパなんかも入ってくるのよ」
「ふん、ふん・・」
 正和は首を振ってしきりにうなづく。
「わたしも数えるほどしかないけど、QSOしてカードをもらってるわ」
「でも、ほかにいつでもやれる周波数もあるわけだろう。それをわざわざ50メガでやる必要があるのかな?」
「通常時には交信できない周波数とか場所との局とQSOするというところに、ハムの醍醐味があるのよ。太平洋を横断するのに、大きな船で安全でいけるものを危険なことを承知で小さなボートで何ヶ月もかけていくのは、それだけの価値があると思っているからでしょう・・」
 何度言ってもわからない人ね・・。亜香里が最後にちらっと横目で睨む顔は、その言葉を付け足したかったようだ。
 それから、ああでもないこうでもないと検討を重ねること一時間、結局亜香里の意見を全面的に取り入れて、K社の1.9MHzから50MHzまで運用できるトランシーバーに落ち着いた。