AREA3  自殺

            その3
「ふっー、たまんないよ。なにがOKなんだ?」
 亜香里の丸も気になってしょうがなかったのだ。
「どこのホテルかわかった?」
「いや、だめだ。どうしても言わないんだ」
「西新宿のKプラザホテルよ。ホテルに電話して、泊まっているのを確認したわ」
 一瞬亜香里が、不思議の国からきたアリスに見えた。
「ど、どうして場所がわかるんだ。ああ、逆探知か?」
「電話番号がわかってるんだから、そんなたいそうなことしなくたってわかるわよ。それより詳しいことはあとで話すから、警察にいってもらう? それとももう一度ホテルに電話して、フロントの人にようすを見にいってもらう?」
 警察とはあまりにオーバー過ぎるし、千華の仕事のことも気になる。ホテルマンがいったとしても、単なる愚痴こぼしならかえってことをめんどうにしてしまう。
「まさかとは思うけどな」
「そのまさかだったら、一生後悔することになるわよ」
「そうだな・・」
 決めかねていると亜香里がしびれを切らしたように言う。
「だったら正和さんが直接いってみれば。お父さんが車できてるから、わたしが運転して新宿まで乗せてってあげるわ」
 その亜香里の言葉で迷いは吹っ切れた。
「よし、いこう」
 二人の騒々しさに母が玄関に顔を出したが、亜香里が、
「おばさん、正和さんの友だちのようすがおかしいんです。これから見にいってきます」
 と言うと呆気にとられ、言葉もなく見送った。
 車は京王線の踏切を渡り、甲州街道に出て一路新宿方向に向かう。
「ホテルのことだけどね。電気通信監理局にデュラスと呼ばれる電波の発射位置を測定する装置があるの。移動電話はトランシーバーと同じでしょう。電話番号から周波数がわかるから、発車された電波を二方向以上から測定して、その交わったところが発信位置になるわけね。警察を通して調べてもらったの」
「へえ、よくそんなことまで知ってるなあ」
「伊達にアマチュア無線をやってないわよ。それに警察に知ってる人がいてね。友だちが自殺するかもしれないって言ったら快く応じてくれたわ、うふふ・・」
 亜香里は思い出し笑いをしたがすぐ真顔にもどり、語気を強めて付け足した。「知り合いってお父さんのよ」
「移動電話の周波数は、電話会社に訊けば教えてくれるの?」
「まさか。マル秘中のマル秘よ。憲法の通信の秘密に触れることだから外部に漏らすことは絶対ないわ」
 特に気負ったようすもなく、亜香里は言った。
「はん、憲法ね!?」
 下り路線はところどころ交差点で渋滞を起こしていたが、上り路線は夜が遅いせいですいすい走り抜けた。新宿の超高層ビル群が見えてきたとき、正和がぼそっとつぶやいた。
「コールガールか」
 以前週刊誌でいわゆるデートクラブとは違う、小金を持った年寄り相手を専門に、警察の摘発から逃れるために携帯電話を使って売春をやっている連中がいるというのを読んだことがあったのだ。
「え、なに?」
「いや、こっちのことさ」
 少し間が空いてから亜香里が言う。
「千華さんのことね」
 正和は食い入るような目付きで亜香里に見入った。対向車からのヘッドライトに浮かぶ亜香里の表情は、驚いたようすもなく平然とハンドルをさばいている。ウィンカーを上げると追い越し車線に入り、大型トラックを追い抜いてその前に出た。
 ほどなく車は甲州街道からKDDビルを左に折れ、超高層ビルのあいだを縫ってKプラザホテルの駐車場に到着した。

ピンクの花

 車を降り気忙しく歩きはじめるが、正和は杖と足の歩調が合わず前のめりに倒れそうになった。
「そんなに慌てなくたってだいじょうぶよ」
 杖の代わりに亜香里の肩を借り、ホテルに入っていく。ロビーを抜け、まっすぐエレベーターホールに向かう。二人の妙な取り合わせに居合せた人の視線が集まった。
「33階の7号室よ」
 ちょうどエレベーターは一階に止まっており、ボタンを押すと扉はすぐに開いた。
「ありがとう、ここでいいよ。あとはひとりでいってみる」
「ええ、ロビーで待ってるわ」
「いや、いいよ。時間がかかるかもしれないから。なに、タクシー代ぐらいは持ってるさ」
「そう。じゃあ・・・」
 亜香里は手を振り、心なしか淋しげな笑顔で両側からの扉にはさまるようにして消えた。少し耳が詰ったかと思うと、エレベーターはあっという間に33階に着いた。7号室はエレベーターから二つずれた位置にあった。ドアの前に立ち深呼吸をすると、緊張のうちにドアをノックする。応答がない。不吉な予感が脳裏をよぎる。もう一度、今度は強めにノックした。
「はい、どなた?」
 ドア越しに女の声だ。全身から力が抜け、へなへなと座り込んでしまいそうになる。杖に寄りかかるようにして、やっとのことで踏ん張った。
「おれだよ。正和だよ」
「ええっ!」
 びっくりして発した奇声はまちがいなく千華のものだ。『カチャカチャ』と、ドアチェーンを外す音がしてドアが開いた。
「よくここがわかったわね?」
 千華は華やかなナイトドレスを身にまとい、この前にも増して妖艶な雰囲気を漂わしている。ただ、顔の化粧は斑模様になっていた。
 正和は仕入れたばかりの知識を自慢気に語る。
「携帯電話は要するに無線機だからね。電気通信監理局に電波の発信位置を調べる装置があってさ。それで調べれば一発さ」
「そうだったの。わざわざありがとう」
「さっきの千華がどうにも気になってさ。いてもたってもいられずきてみたんだ。迷惑だったらこのまま帰るよ」
「なに言ってるの。さ、中に入って」
 千華は正和の先にたって中に入るとベッドの乱れを直した。シングルではなく、ダブルベッドだ。窓際には呑みかけのオンザロックが置いてあった。それとなく窓の周辺を調べてみたが、完全に固定されていて開きそうにない。
「そうだよな。超高層ビルの窓が開くわけないんだよなあ」
 ベッドに腰を下ろした千華がこともなげに言う。
「開くところもあるのよ」
 唖然とする正和が目に入らないかのように、千華は表情ひとつ変えず自分の横をポンポンと叩くと言った。「さ、ここにきて」
 また愚痴を聞かされるのかと、諦めの心境で千華と並んで座る。すると千華はいきなり正和を押し倒し覆い被さってきた。
「だめだよ、千華」
 千華は両肩を押しのけようとする正和の手首を握り返し、腕を払いのけた。
「お願い、わたしの好きなようにさせて。わたしにお返しできるといったらこんなことしかないの」
 そう言ったかと思うと、すかさず唇を重ね合わせてきた。とろーんと甘い香りが正和を包む。生まれて初めての経験に、硬直した全身の筋肉が萎えいでいくのだった。