AREA4  新たな挑戦

            その4
 ハムショップの店員は、午前中に機材一式を持って現れた。正和がものめずらしげにトランシーバーをいじくり回している二時間ほどのあいだに、二人がかりでアンテナを取り付け調整を終えた。アンテナの位置は少しでも高いところがいいというので、
「屋根の上に載せましょうか」
 と言うのを、高さは低くなるもののあえてベランダの支柱に取り付けてもらった。その方がアンテナの構造がよく見られるし、あとあと正和自身でもアンテナを調整するなりしてみたかったのだ。かくしてベランダの二つの角にはそれぞれ三メーターほどの支柱が立ち、一方にはローテーターの上に50MHz用三エレ八木アンテナと430MHz用二列の九エレ八木アンテナ、もう片方には7MHzと21MHz用のダブレットアンテナとが林立することになった。川村家のアンテナとは雲泥の差があったが、考えていたものよりはずっと立派なものになった。
 トランシーバーの使い方の説明も受けた。V・UHFはFMだけなのでどうということはなかったが、HF帯のものは操作するツマミやボタンの種類が多く、はじめのうちはとまどったが一時間もすると受信に関しては問題なく聞けるようになった。
 トランシーバーの前に陣取り、ダイヤルを回してワッチに興じると早くもいっぱしのハムになったつもりになる。7MHzを聞いてみると、ウィークデーの昼間だというのにバンドの上からした下まで隙間なく局が出ている。その多くはリポートとQSLカード交換の簡単な交信だが、中には長々と話し込んでいる連中もいる。普通ならアカの他人どうしの話しに耳を傾けることはないが、いくら聞いても飽きないのだ。ローテーターも興味深い。コントローラーのツマミを指示板に描かれた北に向けると、自動的にローテーターが回りアンテナがその方向を向いて止まるのだ。東、南、西と、ツマミを回す度にその都度外に出てアンテナの方向を確かめる。どれもきちんと指示した方向を向いていた。
 430MHzをワッチしているところに千華がやってきた。
「おめでとう。これ、ほんのお祝いよ」
 千華は駅前の洋菓子店の店名が入った包装紙の菓子箱を差し出した。
「ありがとう。なあにやってみれば簡単なものさ。千華なら百点取れるさ。これが試験の問題だよ」
 プリントにちらっと目はやったが、正和の言うことは耳に入らないのかのように、千華は正和の隣りに座るとV・UHFトランシーバーのメインダイヤルに手を伸ばした。
「これを回すのね。おもしろそうね。新座市は聞こえてきそう?」
「さっき浦和の局が聞こえたらから楽勝さ。千華のところだったら、もっとよく入ると思うよ」
「そう、よかった。これを見て・・」
 千華がそう言ってハンドバッグから取り出したのは、正和が持っているのと同じテキストと問題集だった。
「お、やるつもりになったんだな。買うことはなかったのに。おれのは必要なくなったからあげたのになあ」
 すると千華は申し訳なさそうに言う。
「うん、きれいな方がいいでしょう。それにね、大輔も取ってみるって言ってたわ。昨日もこれを買ってね。大輔に見せたの。そしたらぜひやってみたいって言うものだから、そのまま置いてきちゃった。だからこの本はわたしの分。申請書も午前中に二人分、郵送で送っておいたわ」
「さすがだなあ。大輔は晴海までいけそうなのか?」
「もちろん車でいくけど、問題は前のめりになったりしないでしっかり車椅子にすわっていられるかどうかね。主治医の先生に相談してみたら、なにかに積極的になることはいいことだって。そういうことなら受験のときには若い先生か看護婦さんをつけましょうって言ってくれたわ。わたしもいっしょに受けるわけだし、なんとかなると思うわ」
「手回しがいいんだな。それじゃあ、勉強するのも大変だなあ」
「それはだいじょうぶよ。最近はベッドを起こしてテレビを見たり、本を読んだりしてるから。それに大輔はもともと機械ものには強いでしょう。むしろわたしの方が心配よ」
 と、千華は明るく笑いながら言った。
「千華の頭ならおれよりもまちがいないさ」
 大学の講義は一時間たりとも休まず、いつもいちばん前の席でノートをとっていた。千華の成績はほとんどの科目が“優”で、正和と大輔の単位は、千華のノートのコピーと情報で通っていたようなものだった。
「ね、ちょっと電波を出してみせてよ」
「ばかなこと言うなよ。従事者免許がきて局免許を取った上でやらないと電波法違反だよ」
 千華はつまらなそうな顔でダイヤルをぐるぐる回した。
『CQ、CQ。こちらJO1YZ×/1、ジャパン、オスカー、ワン、ヤンキー、ゼブラ、×××、ポータブルワン。高尾山移動。どなたかお聞きのステーションがありましたらコンタクトお願いします。受信します』
「へえ、高尾山でも聞こえてくるのね。ポータブルワンってなあに?」
「局免許を受けてる住所とは違う場所で運用しているってことさ。だから外に出てやるときとか、車から電波を出すときには言わないといけない決まりになっているしいんだな」
「電波法ってけっこう細かいのね」
 千華は430MHzの全部の周波数をワッチし終えると、今度はHFトランシーバーのメインダイヤルをいじくり回す。それにも飽きたらなくなるとツマミやボタンをやたら押しまくった。
「おいおい、ていねいに扱ってくれよ」
「ふふ、そうよね。買ったばかりだものね。それじゃ、これもらっていくわよ。コピーして大輔にも届けなくちゃ」
「ああ、よく勉強するように言っといてくれよ」
「面会時間を過ぎると看護婦さんがうるさいからいくわね。電車に乗るんだったら新宿までいっしょにいく?」
「いや、いいよ・・」
 千華は問題用紙をハンドバッグにしまいこむと、そそくさと帰っていった。
 きょうばかりは外に出ようという気にはならない。だが、いい加減で聞いているだけでは飽きたらなくなり、千華ではないが電波を出したくなってくる。マイクに内臓されたプッシュスイッチを押して、送信状態にしてはみるものの声を出すまではできない。そのうちにはマイクに向かって、大声で怒鳴ってみたくなる心境にかられるのだった。
 夜八時ごろになって14MHzをワッチしていると、突然スピーカーが『バリバリ』と鳴ってメーターが振り切れた。メーターが壊れそうな気がしたので、即座に電源スイッチを切った。なにが原因なのか皆目検討もつかず、少し時間をおいてから、おそるおそるまたスイッチを入れてみる。今度は『ザァー』というホワイトノイズだけで問題はない。ダイヤルを右に回して周波数を上げていってみるが、どこにもさっきの雷のような音は聞こえてこなかった。
 「ふっー」と一息ついていると、また『バリバリ』と激しい音が鳴った。また慌ててスイッチを切ろうとしてメーターをよく見ると、今度は振り切れるまではいっていないのだ。ダイヤルを静かに回してようすをみると、別の周波数では振り切れそうになるまでメーターの針が右に寄っていく。怖くて振り切れるところまではダイヤルを回せない。逆方向に回していくと弱いところはあるものの、やはり振り切れてしまいそうになる。音が大き過ぎて気がつかなかったが、ボリュームを落として聞いてみると、どうやらモールスの発信音のようだ。周波数は14.030MHz。考えてみれば、バンド使用区分ではモールス電信用の周波数帯だ。が、周波数を変えてまで同じものがいくつも入ってくるというのはなにかおかしい。スピーカーの皮膜をバリバリいわすのも気にいらない。トランシーバーが納入されたその日から故障させてしまうのは惜しいので、原因は学校帰りにやってくるはずの亜香里に聞いてみることにし、HFのトランシーバーはそれまで休ませることにした。

八木アンテナ

 ところがその亜香里がなかなか姿を見せないのだ。とうに着いているはずの十時を回っても一向に音沙汰がない。夜道とはいっても通い慣れているのだから、まちがいがあるとは思えない。隣りの家からは灯りが洩れている。もしかして帰っているのにこちらに顔を出すのを忘れているのかとも思うが、亜香里がくるときは必ず正和に声を掛けるか直接やってくる。心配になって電話でもしてみようかと思ったころ、逆に電話が入った。
『ごめんなさい。お母さんが風邪ぎみなものだから、そっちには寄らずにこっちに帰ってきちゃった。どうお、ハムショップの人はきたの?』
「ああ、アンテナはきちんと建ったし、目の前にトランシーバーが二台並んでるよ。それで14メガのようすがおかしいんだけどさ。メーターが振り切れてバリバリ鳴るんだよ。故障かな?」
『14メガ・・・? CWの音は聞こえてこないの』
「ボリュームを落とすとそれらしい音がするよ」
 すると亜香里はいきなり黄色い声を張り上げて笑う。
『アハハ、やあね、隣りからお父さんが電波を出してるからよ。お父さんがきてるでしょう。あまり強いとそんなふうになるの。”ATT”って書かれたプッシュボタンがあるでしょう。アッテネータっていうんだけど、日本語でいえば減衰器。強過ぎる電波のときに弱める働きがあるからそれを押せばいいわ』
「でも、バンドのあちこちに出てるんだよ。正常な電波だったら一つだけなはずだろう?」
『スプリアス発射っていってね。実際は目的とする周波数以外にも不必要な電波がいろいろ出てるの。現代の技術ではまだ克服できないところなのよ。テレビとかステレオに妨害電波を出しているのなら運用そのものをやめるしかないけど、アマチュア無線どうしなら我慢してやるしかないわ。場所が近いところではどうしようもないのよ』
「そう、ちょっと待って・・」
 窓の外を覗くと、月灯りに照らされた14MHz用のばかでかい八木アンテナが動いている。スイッチを入れると、またスピーカーがバリバリとにぎやかな音をたてた。亜香里から言われたとおり、ATTボタンを押してみる。
「確かに少し下がったけどそれでも強いなあ。これじゃ、あってねえーた・・・」
『くっくっ・・』
 受話器からは笑いを押し殺す声だけが洩れてきた。
「でも、これでメーターが壊れてしまうなんてことはないのかな?」
『ふふ、だいじょうぶよ。そういうときのために電気回路の中で自動的に調節するようになってるんだから・・』
「あとさ、430メガの上の方でFMの電話の中でモールス音がするのがあるんだよ。あれはどうしてかな?」
『それはレピーターね。ハンディ機の小さな出力なんかで運用してる局のために、受信した電波を別の周波数で再送信してくれる中継局があるの。レピーターが送信を始めるとき、アタマにその局のコールサインをモールス符号で流すことになってるのよ。受信周波数が434メガヘルツ代で送信周波数が439メガヘルツ代ね。そのトランシーバーも運用できるようになってるはずだから、マニュアルを見てセットしてみるといいわ。うーん、でもトーン周波数もセットしないといけないからむずかしいかな。わからなかったらわたしがいったときにやってあげる。もし自分でやれたら、試しにちょっとだけキャリアを出してみるといいわ。モールス音と無変調キャリアが流れてくるはずよ』
「へえ、そう・・」
 ややこしい説明でなにがなにやらわからなかったが、こちらから電波を出すとそれに応答があるというのが気に入った。すぐにマニュアルを机に広げた。