AREA4  新たな挑戦

            その5
「どれ、どのへん?」
『そんな・・。ここに同じものがあるわけじゃないんだから、わかるわけないわよ。それに厳密には違法行為なんだから、ほんのちょっとだけよ』
「わかってるって。聞いてるだけのは飽き飽きしてたんだ。どれかなあ、よくわからないよ」
『もう、アブナイなあ。よけいなことを言うんじゃなかったわ。いいわよ、わたしがいったときに教えてあげるから放っておきなさいよ』
 二十ページほどもあるマニュアルを一枚一枚捲って見ていくと、トーン周波数がどうのこうのと載っているページはあるが、操作がややこしくてすぐにはセットできそうにない。
「まあ、いいか。あとでゆっくり見てみるよ。どのバンドでもいいから出してみてくれないかな。どの程度に入るか聞いてみたいんだ」
『そうね。なるべく空いてるのがいいわね。それじゃ50メガのFMにしましょう。周波数を51.420に合わせて。試験電波ということで出すからね。ね、どうして420かわかる?』
「さあ・・?」
 亜香里にはよく話しをしている途中で、ひとりよがりの問題を出して楽しむ悪いクセがある。それもすぐに答えを言うのならいいが、しつこくなかなか言わないときがあるのだ。そんなときにはまともに相手をすると疲れるので、聞こえないふりをしてやり過ごすことにしていた。
『わたしの誕生日なの』
「そうか。じゃあ今度の四月で十九になるんだ?」
『うーん、まあそんなとこよ』
 自分から言い出したわりには、亜香里は煮え切らない返事をした。十九が言い渋るような年か、と思いながら、ダイヤルを回し周波数を合わせた。
<どなたかお使いになってますか。チャンネルチェック>
 スピーカーから亜香里の声が流れた。
「Sメーターはそれほど振れてないけど、よく聞こえてるよ」
 電話器の送話口に向かって叫ぶが、亜香里からは応答がない。
<どなたかお使いになってますか、チャンネルチェック。こちらJQ1NG×>
 亜香里の声が再度スピーカーから聞こえてくる。正和はがばっとマイクを握ると、しゃれっ気たっぷりに応えた。
<誰も使ってません。好きにお使いください>
 すると今度は亜香里の声が受話器から聞こえる。
『だめよ。そんなことをやったら電波法違反よ』
「はは、ちょっとだけだよ。どう、こっちの声はよく入ってる?」
『ほんとにもう・・。57ぐらいで入感してるわ。わたしのはどうお?』
「よく見てなかったなあ。もう一度出してみて・・」
『いーい。試験電波なんだから応答したりしちゃだめよ』
 『カタッ』と受話器を置く音がすると、声はスピーカーに移る。
<ただいま試験電波発射中。こちらJQ1NG×、ジュリエット、クィーン、ワン、ノベンバー、ゴルフ、×××。ワン、トゥー、スリー、フォー。ただいま試験電波の発射中です>
『Sメーターはどれぐらい振れてるの?』
「6ぐらいかな。ね、適当なコールサインで出してみるからQSOやってみようよ」
『だめよ。刑務所に入りたいの』
 なにをオーバーな、と思う。新聞に、かなり悪質な違法CB無線をやっているトラック運転手が捕まったという記事が載っているのを見たことがあった。それでもせいぜい罰金刑だ。無数の電波が入り乱れる空中に、ちょっと毛の生えた程度の電波を出すぐらいで懲役刑まで食らうわけはない。だいたいにして、電気通信監理局がそれほど監視活動をやっているはずがないのだ。同じ新聞記事に違法無線局は一説には百万局以上いると書いてあったが、いつも監視を
やっているのならそんな数の違法局がはびこることはないのだ。
<JQ1NG×、こちら・・・>
 適当とはいってもどんなコールサインにしたらいいのか、迷ってしまう。ハムショップの店員がサービスにと置いていってくれた業務日誌の最後部のページを開き、フォネテックスコード表を見ておもむろに言う。
<JQ1NG×、こちらJZ1AM。ジュリエット、ズルー、ワン、アルファ、マイク。聞こえますか、どうぞ>
 マイクのプッシュスイッチを離し受信状態にするが、スピーカーから聞こえるのはホワイトノイズだけで、うんともすんとも言ってこない。耳をすますとスピーカーではなく、受話器の方からなにやらわめく声が聞こえた。
「こっちじゃなくて、トランシーバーのマイクに向かってしゃべってくれよ」
『局免がきたら飽きるほどお空に出れるのよ。どうしてそれまで待てないの。あなた、違法行為をやったときの怖さを知らないみたいね。一度捕まってクサイ飯を食べてみるといいんだわ』
 受話口からは声だけでなく、唾までが飛んできそうな勢いだ。
「亜香里は食べたことがあるような言い方だな」
『・・・・・』
 今度は黙りに入った。コトリとも音がしない。
「ハハ、冗談だよ。捕まるとしたっておれが捕まるんだから、そんなに剥きにならなくたっていいじゃないか」
『それにね。サフィックスの二文字コールはJAかJR6の古い人だけで、新しく免許される局はみんな三ケタよ』
「おれの頭文字さ、ウハハ」
『たく・・、プリフィックスもそんなものがあるわけないでしょう。日本はJSまでで、JZはインドネシアのプリフィックスよ。50メガの電波がインドネシアから届くわけないでしょう』
「前にEスポとかいう特殊電搬のときに、オセアニア周辺はよく入るって言ったじゃないか」
『この寒い時期にEスポが発生するわけないでしょう。だいたいにしてインドネシア人がそんな流暢な日本語を話せるの』
「それが生まれ育ちは日本で、現在はインドネシアに帰国したということなんだな」
『フー、フー』
 また黄色い笑い声でも聞こえてくるのかと思っていたら、息を遣う音だけが響いてくる。
「なあ亜香里。ちょっとだけでいいから相手してくれよ。そしたらやめるから」
『・・・・・』
 正和はかまわずマイクを取ってしゃべり始める。
<JQ1NG×、こちらJZ1AMでーす。ジュリエット、ズルー、ワン、アルファ、マイク。黙ってないで応答してください。どんぞ>
 マイクを置くと、とたんにSメーターが振れてキャリアが飛び込んできた。亜香里がやっとその気になってくれたらしい。
<こちらは関東電気通信監理局です。あなたが発射する電波は、多くの人の迷惑になっています。直ちに電波の発射を中止してください。あなたが発射する電波は電波法違反であり、一年以下の懲役、または二十万円以下の罰金に処せられることになります。直ちに電波の発射を中止してください>
 亜香里の声ではなく、テープに吹き込まれたような男の音声が流れてきた。
「な、なんだ、これは。いたずらか?」
『いたずらじゃないわよ。規正電波っていってね。電監の監視部が不法局に対して行なう警告よ。冗談じゃなくてほんとに捕まるかもしれないわね』
「脅かすなよ。二、三回出しただけだぞ」
『アンテナまで整備するのは局免がきてからでよかったわね。どうしようもないわ。ほんとに、バカ!』
 それっきり『ガチャン』というと、『プー・・・』という発信音だけがあとに残った。
「ナニサマだと思っとるんジャ!」
 やけくそになってまたマイクを握る。
<JQ1NG×、こちらJZ1AM。聞こえてましたら応答してください>
<こちらは関東電気通信監理局・・・>
「うわっ、ヤバイ」
 正和は慌てふためきながら、すぐさま電源スイッチのレバーを落とした。

きゅうぴいさん

 従事者免許証は、それから三週間近くがたってようやく送られてきた。
 ビニールカバーでパウチされた青地の用紙に、“無線従事者免許証・第4級アマチュア無線技士”と記されてある。中でも“郵政大臣”とあるのが気にいった。大臣と書かれた書類を手にするのは生まれて初めてのことなのだ。
 さっそく記載済みのアマチュア局免許申請書を取り出すと、空欄にしてあった免許証番号ときょうの日付を書き入れる。これであとは、一ヶ月と少しもすれば局免許が送られてくるはずだ。気になるのは呼出符号だ。亜香里の話しによれば、関東地区ではアタマにJの付くものは終わってしまい、7の数字がくるのだという。サフィックスはAAAとか、VVVとか同じ文字が三つ続くのは言いにくい。せめて二つだけにしてほしい。ぜいたくをいうならばABCとか、XYZとか、アルファベット順に並んでいるのがいい。でなければTBSとか、NTTとか略されている有名な企業名も覚えやすくていい。一方CIAとかKGBなどというのがきたらどんなものか、などなど考えてみるが、個人の意思でどうなるものでもない。従事者免許にも増して長い日々になりそうだった。
 申請書を投函したついでに、そのまま電車に乗りに駅に向かった。正面から近所のおばさんがやってくる。いつものように軽く会釈して通り過ぎようとすると、おばさんは擦れ違いざまに立ち止まって感嘆の声をあげた。
「あら、杖を使わずに歩けるようになったんじゃない?」
「えっ!」
 言われてみて、おばさん以上に驚く。封筒をポストに投函する際、杖を何気なく小脇に挾みそのままきてしまったものらしい。
「随分よくなったわねえ。もうひと踏ん張りね」
 照れながらあとにするが、妙なもので意識してしまうと杖なしではバランスを崩してしまう。苦笑しながらも、きょうは少し遠くまで乗ろうと思う。上り方向は人が混み合うので、下り線に乗ることにした。
 いつものように快速電車は避けて百パーセント座れる各駅停車に乗り、一駅づつようすをみながら調布まできた。ここで折り返すつもりでいたが、不安に感じるようなこともなく、さらに先までいってみることにする。多磨霊園、東府中ときてもまあまあだ。きりのいいところで、次の府中で乗り換えることにした。
 電車がブレーキをかけ始め、ゆっくり府中駅のホームに入っていくとき、線路沿いの道路を歩く亜香里の姿が目に入った。制服姿にカバンを持って早足で歩いている。亜香里は正和の不法電波の発射の件以来、隣りの家にくることはなく電話も音沙汰なしだった。ちょうどいい。従事者免許がきたことを教えてやりたい。亜香里がまだ正和に気付いてないので、地下道で待ち受けてびっくりさせてやることにした。
 が、亜香里を目で追っていると、後にぴったり付いている二人がなにか亜香里に言い寄っているのだ。二人は亜香里と同じ年頃の男女で髪を赤や金色に染め上げ、皮ジャンを着込んで派手な格好をしている。普段なら電車が完全に止まってからでないと立ち上がらないが、正和は揺れる電車の中で杖をついてドアの前に立った。電車が止まろうかというとき、男がふいに亜香里の肩を掴んで自分の方へ引き寄せた。亜香里はそれを振りほどき、無視してすたすた歩く。見てると、今度は女が立ちはだかるように亜香里の前に廻った。亜香里も負けてはいない。手で横に押し退けると、また無言のうちに前に歩いた。二人はなにかしら罵声を浴びせているようだが亜香里はまったく相手にせず、駅舎の陰に消えた。
 ドアは開いたが、正和は降りずにまたシートに腰を下ろした。