AREA5  呼出符号の皮肉

            その1
 大輔と千華の試験当日、正和は首を長くして千華からの電話を待っていた。そもそも大輔が試験場までたどりついたどうかが気がかりだった。二人のうちどちらか一人でも合格したら会場からすぐ電話を入れる。二人とも落ちたら、夜にでも連絡は入れる、という約束になっていた。時計の針は既に十二時を回っている。とうに発表は終えている時間だ。大輔はともかく千華まで落ちるというのは考えにくいことだが、悪い方に考えざるをえなかった。
 表で、『ガチャ、ガチャ』という郵便受けをいじる音がした。重い身体を引きずるようにして玄関に立つ。局免許は、千華たちの試験の前にはくるものとばかり思っていたがまだきていなかった。郵便屋とは思うが、この数日は白けてしまい飛んで出るような気分ではない。一度、申請書がどこかで消えてしまっているのではと不安にかられ、電気通信監理局に申請書がアマチュア無線振興協会から廻ってきているかを尋ねてみた。
『ただいま処理中ですので、もうしばらくお待ちください』
 その言葉に安心し、せっかく電話したのだからと、
「コールサインはアルファベット順に並んだものを指定していただけないでしょうか」
 と注文をつけてみた。
『そういう要望を受け付けるようなことはやっておりません』
 無機質なものの言い方で、あっさり断られてしまった。
 郵便受けを覗き窓から中を見やる。
「おお!」
 定形郵便物扱いではめいっぱいの大きさの茶封筒だ。宛名も差出人の名前を確かめることなく急いで封を切る。まちがいなく“無線局免許状”だった。上から順に見下ろしていく。氏名、常置場所、移動範囲、電波の型式・周波数・空中線電力・・・。かんじんの呼出符号が見当たらない。が、視線を右にずらすといちばん上に書いてあった。そこには呼出符号“7K2AG×”が、燦然と輝いていた。
 見た目には悪くない。
「セブン、キロ、トゥー、アルファー、ゴルフ、×××か」
 一人口ずさんでみるが、しゃべった感じも言いにくいようなことはない。特に覚えやすいということもないが、可もなく非もなくといったところだ。もうこれで亜香里にとやかく言われることもないし、電気通信監理局から規正電波なる警告を受けるいわれもない。さっそくHFトランシーバーに火を入れる。毎日のように聞いているので、空いていそうな周波数やQSOの仕方もおおよその要領を得ていた。
 まずはとにかく第一声を張り上げてみたいので、CQを出してみることにした。かといって最初から誰かに応答されても困るので、周波数はいまの季節は静かな21MHzに合わせる。QSOの仕方がわかっていても、いざマイクに向かうと緊張する。ひとり言を言うだけのことで、手が小刻みに震えてくるのだ。
<CQ、CQ。こちらは7K2AG×。セブン、キロ、トゥー、アルファー、ゴルフ、×××。どなたか入感の局がありましたらコンタクトお願いします。どうぞ>
 マイクを置いてほっとしたのも束の間、すぐに正和を呼ぶ声があった。
<7K2AG×。こちらJM3JC×/6。ジャパン・マイク・スリー・ジャパン・チャーリー・×××、ポータブル・シックス。よろしかったらQSOお願いします。コーリング・ユー・エンド・スタンディング・バイ>
 応答などあるはずがないと決めつけていたので、業務日誌はおろかメモ用紙すらも用意していなかった。
<あ、あの・・、すみません。、もう一度お願いします。どうぞ>
 相手局が同じことをくり返すのを、横に置いてあった雑誌の余白に必死でコールサインを書きとる。
<JM3JC×/6。ジャパン・マイク・スリー・ジャパン・チャーリー・×××、ポータブル・シックス。ええと? あ、すみません>
 メモった文字としゃべっているフォネテックスコードとが違うことに気付く。
<JM3GC×、ポータブル6。ジャパン・マイク・スリー・ゴルフ・チャーリー・×××、ポータブル・シックス。こちら7K2AG×です。そちらのRSリポートは・・・? ええと、59だったと思います。どうぞ>
 この日のために、完全に暗記したはずのフォネテックスコードがすらすら出てこず、コード表を見ながらしどろもどろの会話だ。なにかもっと話さないいけないことがあるように思ったが、気が動転してそれどころではなかったのだ。もとよりSメーターを見るような余裕はなく、リポートは適当に送った。
<はい。7K2AG×。セブン、キロ、トゥー、アルファー、ゴルフ、×××ですね。了解です。こちらのコールは、JM3JC×/6。ジャパン・マイク・スリー・ジャパン・チャーリー・×××、ポータブル・シックスです。ファーストレターは、G・ゴルフではなく、J・ジャパンですのでご訂正ください。こちらのQTHは沖縄県八重山郡です。JCGナンバーは47005です。QRAはコマツといいます。子供のコ、マッチのマ、鶴亀のツ、コマツといい
ます。今後ともよろしくお願いします。リポートは同じく59、ファィブ・ナインです。お返しします。7K2AG×、JM3JC×/6。どうぞ>
 それを聞いてようやく送らなければならない情報を思い出す。
<JM3JC×/6、7K2AG×。ええと・・>
 そのとき、玄関の扉が開く音がした。

紫陽花

「ごめんください。亜香里です」
 まさしく天の助けだ。
<すみません。お客さんなんでちょっと待ってください>
<はいはい・・>
 正和の不手際に呆れ果てたのか、相手局はふてくされた言い方で返事をした。
「入ってくれよ。大変なんだ」
 正和は玄関に向かって大声で叫んだ。
「どうしたの?」
 亜香里はびっくりしたようすで飛んできた。
「いまQSOしてるところなんだ。教えてくれよ」
 亜香里は一瞬眉をひそめたが、すぐ机の上の免許状を見て表情を和らげた。
「きたんだ、よかったじゃない。どこまで話したの?」
「リポートの交換をしたところさ。まだ住所を言ってないんだ」
「だったら言えばいいでしょう・・」
<お待たせしてどうもすみませんでした。こちらのQRHは・・>
 横から亜香里が小声で叫ぶ。
「QTHよ」
<ええとQTHは、東京都調布市です。調布のチョ・・>
「千鳥のチよ。くふふ」
<千鳥のチ。横浜のヨ・・>
「吉野のヨでしょう。ふっふっ」
 亜香里が口を押さえて笑い転げる。
<吉野のヨ。上野のウ。富士山のフ。東京都調布市です。それと・・・>
 あとはなにを続けたらいいのか忘れてしまい、亜香里の顔を伺う。
「カードの交換はした?」
<カードですが、JARLの方でご交換を>
 とそこまでいって、まだ入会手続きなどしていないことを思い出す。
<JARLはまだ入っていないものですから、ダイレクトで・・>
 また亜香里の小さいが甲高い声が飛ぶ。
「だいじょうぶよ。JARLは二ヶ月程度カードを預かってくれるから、そのあいだに手続きを済まれせれば処分されることはないわ」
 なるほどと思いながら話しを継ぐ。
<ええと、すぐに入会手続きをとりますので、やっぱりJARLでご交換お願いします。それではそういうことでよろしくお願いします。セブンティスリー、さようなら>
「なによ、それ。まだ早過ぎるわ。それに相手と自分のコールを言ってから73を送らないと」
 正和は亜香里の言葉が耳に入らないかのように椅子にもたれかかると、手の甲で額の汗を拭った。
<7K2AG×、JM3JC×/6。はい、了解です。それではカードはJARLにお送りしておきます。またお相手ください。ありがとうございました。それから横にいらっしゃるのは奥様でしょうか。よろしくお伝えください。7K2AG×、JM3JC×/6。セブンティスリー、さようなら>
 亜香里が一段とオクターブを上げた黄色い声で笑う。
「キャハハハ、やあね。なにを勘違いしてるのかしら」
 そして思い出したように言う。「ほら、正和さんも最後の挨拶をしなくちゃ。きちんとコールを言うのよ」
<JM3JC×/6。こちら7K2AG×。またよろしくお願いします。さようなら>
 相手局からも一言挨拶が返ってくる。
<はい、ありがとうございました。さようなら>
 かくして地獄のファーストQSOは終わった。
「はあー、QSOがこんなに疲れるものだとは思わなかった。あ、名前を言うのを忘れた」
 正和は見るからに気落ちしたようすで言った。
「焦ってやるからよ。でも、きょうからはいくらでもやれるわよ。どんどんやったら」
「いや、しばらく休むよ。夜、50メガでやろう。今度は相手してくれるんだろうな?」
「ふふ、そうね。あら・・? 誰か呼んでるみたいよ」