AREA5  呼出符号の皮肉

            その2
 電離層のコンディションが一定しておらず、Sメーターはたまにピクンと振れるぐらいだ。
<7K・・・×、こちらJE5・・U・・・マリン・・ビル。コンタクト・・・・・・します、どうぞ>
 か細く途切れ途切れに聞こえるが、確かにスピーカーの主は正和を呼んでいるようだ。
「これじゃ無理して応答したって、尻切れトンボに終わってしまうよ」
 コンディションの悪いのが正和には幸いだった。ところがじっと聞いていると除々にコンディションが回復し、相手局の声がはっきり聞き取れるようになった。
<セブン・キロ・ワン・アルファ・ゴルフ・×××、7K1AG×。こちらはJE5IU×/MM、ジャパン・エコー・ファィブ・インディア・ユニフォーム・×××、海上移動です。入感ありましたら緊急通信をお願いします、どうぞ>
「は、緊急通信ってなんだ?」
「緊急事態が発生したってことよ。応答しなくちゃ。人の命がかかってるかもしれないわよ」
「そんなこと言ったって」
「もう、貸して!」
 亜香里はいらついたようすでマイクを取り上げた。
<JE5IU×/MM、ジャパン・エコー・ファィブ・インディア・ユニフォーム・×××、マリン・モービル。こちらJQ1NG×/1、ジャパン・クィーン・ワン・ナンシー・ゴルフ・×××、ポータブル・ワン。AG×局が席を離れましたので代わってお相手します。どうぞ>
<了解。JQ1NG×/1、JE5IU×/MM。こちら沖縄本島から南東約百キロ沖合いのクルーザーからQRVしております>
 正和が小声で訊く。
「QRVってなんだ?」
「電波を出しているってことよ」
<現在エンジンが故障して航行不能の状態になっております。それで恐れ入りますが、海上保安部に救助要請の連絡をしていただけないでしょうか。よろしくお願いします。JQ1NG×/1、JE5IU×/MM。どうぞ>
 救助要請というわりには差し迫ったような話し方ではなく、落ち着いた話しぶりだ。
<JE5IU×/MM、JQ1NG×/1。了解です。それではそちらの現在のQTHをお知らせください。ブレイクブレイク>
<了解、それでは読み上げます。北緯27度45分21秒、東経128度37分52秒。よろしいでしょうか、どうぞ>
 亜香里は手早くメモをとった。
<了解です。ほかに緊急を要するようなことはありますか、ブレイク>
<了解。いいえ、乗組員は全員無事ですし、食料、水も充分にあります。ただバッテリーの充電ができませんから、あまり長話しをできないことぐらいです。どうぞ>
<了解です。それでは海上保安部に有線しますので、そのままご待機ください。QRX>
 亜香里はマイクをおき、素早く電話器を手元に引き寄せると受話器をとった。何番をダイヤルするのか興味深く見ていると、なんと1、1、0と押した。
「アマチュア無線をやっている者なんですが、海上の船から緊急通信を受信したものですから海の110番の電話番号を教えていただけないでしょうか。はい、はい・・」
 そういうことか、と感心しながら見入っていると、メモ用紙に「045−641−××××」と書きとった。
「あれ、普通の電話番号じゃないか?」
「警察の110番とは違うわよ。横浜の海上保安本部で海難救助用に受け付けている番号よ」
 亜香里はしゃべりながらもダイヤルボタンを押した。「アマチュア無線をやっている者なんですが、いまエンジンが故障して動けないクルーザーと交信しているんです。ええ、ええ・・、そうです。21.425メガヘルツです。ええと、北緯・・・、東経・・・」
 亜香里がきてくれたからいいようなものの、正和ひとりではパニックを起こしかねないところだった。亜香里からは、初めからCQを出したのでは誰に呼ばれるかわからないから、慣れるまではQSOをやっている局を見つけて、充分ワッチして相手局のQTHとかQRAなど確認してからやった方がいい、と言われていたが、いまになってその意味がよくわかった。
「そうですか、それは都合がいいですね。27.524メガヘルツですね。わかりました、まちがいなくQSPします。それじゃ」
 受話器をおくと、再度マイクをとる。
<JE5IU×/MM、JQ1NG×/1。聞こえてますか、どうぞ>
<了解、さきほどよりよくなりましたね。57ぐらいです、どうぞ>
<はい、いま横浜海上保安本部と連絡がとれまして、そこから約五十キロの海上に巡視船がいるということで至急そちらに向かわせるとのことです。それで近くまでいったら、免許の関係でこの周波数には出れないので遭難周波数の27.524メガヘルツで呼びかけるそうです。ですからその周波数をワッチしててください。受信できましたら、巡視船の方はこの周波数をワッチしているとのことですので送信はこの周波数でしてください。要するにクロスバンドの状態で
QSOしようというわけですが、そちらのトランシーバーは問題なくやれますね。どうぞ>
<はい、クロスバンドの件了解です。こちらのトランシーバーは二波同時受信できるタイプのものですので、両方ともワッチしてます。どうもありがとうございました。JQ1NG×/1、JE5IU×/MM>
<了解。こちらもこのままワッチは続けていますので、なにかありましたらまた呼んでください。JE5IU×/MM、JQ1NG×/1。失礼します、セブンティスリー>
<はい、ありがとうございました>
「よしと。これであとは海上保安部に任しとけばいいわ」
 亜香里がマイクをおいてほっとしたようすで言った。

雲

「でも、北緯何度とか東経何度とか、よくこんな細かい数字がわかるもんだなあ」
「GPSっていってね。人工衛星が出す電波を受信することによって、自動的に位置測定ができる装置があるの。いまは携帯用の小さいのが出回っているぐらいだから、船なら当然積んでるしょう」
「でも沖縄近海なら近くの局を呼べばいいのになあ。どうしてこんな遠くの局を呼んでくるのかな?」
「スキップしてるのよ。高い周波数は反射する電離層が限られてくるし、垂直方向に近い電波は電離層を突き抜けてしまうから、7メガあたりとは違って近いところは入らないでしまうことが多いの」
「ふーん。緊急通信は前にもしたことがあるの?」
「いいえ、初めてよ。これでも緊張してやってたのよ」
 そう言いながら目を擦る亜香里を見て、目が充血していることに気付いた。
「目が赤いなあ。まるで二日酔いみたいだよ」
「みたいじゃなくて、そうなの。昨日隣りに泊まってたんだけど、お父さんが飲んでたものだから付き合って飲んじゃってたんだ。朝起きられなくていままで寝てたの」
 亜香里は悪びれることもなく、けろっとした顔で言った。
「それじゃ、酔った勢いでやったようなもんだな」
「ふふ、そうかもね」
「それにしても高校生が二日酔いとはなあ」
「夜学は昼間とは違うわ。クラスの半数以上は大人の社会人なのよ。学校が終わってから気の合った仲間どうし一杯飲みにくり出す人だっているし、先生が誘うことだってあるわ。大人どうしの付き合いなのよ」
 正和の軽蔑の眼差しを打ち消すかのように、もうひと言付け加えた。「わたしは外では飲まないわよ」
 そのとき、『プルルルン』と電子音が鳴り響いた。正和は二回目が鳴らないうちに素早く受話器を取った。
「はい」
『遅れちゃってごめん。受かったわよ、二人とも』
 千華の弾んだ声がこだました。
「合格したんだ! よかったあ。なかなか電話がこないからダメかなあなんて思ってたところなんだ。これでそのうち大輔ともゆっくり話せるようになるなあ」
『ふふーん、そのまま待っててね』
 千華は意味ありげな笑いを浮かべて言った。受話器からはゴソゴソ音がする。
『いよお、おりぃ・・だ。大輔だよ』
 意外な声が聞こえてきた。
「おお、おまえか。しばらくだな。電話のあるところへ出れるようになったんだ?」
『どうにかな。車をタバコ屋の前にぃ、横付けしてもり・・ってさ。受話器を車の中まで引きぃ込んで電話してりぃんだよ』
 ときおり引っ掛かりながら話しはするものの、まぎれもなく大輔の声だった。
「そうか。でもそこまでやれるようになったんなら、もうひと踏ん張りだな。おれも最近電車に乗れるようになってさ。来年の四月からは大学にもどるつもりでいるんだ」
『順調に回復してぃり・・ようだな。おりぃの方はまだまだだけどな。マイペースでやりぃさ。なるべく早く器械を用意して、そことつながり・・ようにすりぃよ。なにせ毎日暇にしてぃるからな。暇つぶしに付き合ってくりぃや』
「ああ、局免の手続きの仕方や無線機のことは千華に教えてあるから任しとくといいよ。埼玉の南部はだいたい入ってくるからさ。まちがいなく大輔の病院にも届くよ。実はきょう局免がきてさ。いま初めて交信をやったところなんだよ」
『じゃあ、おりぃも近々電波を出せりぃなあ。先生にアマチュア無線ことを話したらぁ、言語回復のリハビリにもなりぃだろうって喜んでくりぃてな。まあ・・、ぼちぼちやってみりぃさ』
「毎日やってれば段々といやでもよくなるさ」
『ああ。正和・・・』
 呼び掛けたきり大輔は押し黙った。
「なんだよ?」
『おりぃのせいで、ごめんな』
「なに言ってんだよ、誰が悪いってわけじゃないさ。あれは不可抗力ってやつだよ」
 正和は目を瞬かせながら亜香里に背を向けた。その後ろから亜香里がそっとハンカチを差し出した。