2 胸騒ぎ     その一

「ええ、ええ、わかってます。あと一週間待ってくださいよ。まちがいなく用意しときますから」
『ほんとに一週間待てば、きちんと払ってもらえるんでしょうね?』
「ええ、目安はついてますから。安藤さんとは長い付き合いじゃないですか。ひとつこんなときぐらいはよろしくお願いしますよ」
『そう思えばこそ、一つ返事で大金を貸したんじゃないですか。あれを返してもらえないと、こっちの商売にも差し障りが出てきますからねえ』
「ええ、わかってます。今度はまちがいないですから」
『じゃ、ほんとに一週間ですよ。あとは待ちませんからね。それなりの法的措置をとらざらるをえませんからね』
「ええ、ええ、それじゃ失礼します」
 長話しは無用だ。相手の話しも終わらないうちに一方的に電話を切った。
 良次は小さいながらも五人の社員を抱え、電気製品を卸す会社をやっている。倒産した家庭電器製品販売のチェーン店から一発勝負をかけ借金をして安く大量に買い叩いたはいいが、あてにしていたディスカントショップに思うように納品させてもらえず、その借金を約束の期日になっても払えずにいたのだ。
 長年の付き合いから一週間二週間と引き伸ばしてきたが、相手もそろそろしびれを切らしてきた。一週間とは言ったものの借りられるところは既にあたってのしまってのことだけに、二千万もの大金をつくれる見込みはなかった。いまのところは「法的に」などと言ってはいるが、暴力団ともつながりのある男だけになにをしてくるのかわかったものではない。
「社長、大丈夫なんですか?」
 良次の右腕になってやってくれている、渋沢が言った。
「ふっ〜、正直いってちょっと苦しいな」
「すみません。僕がよけいなことを言ったばっかりに」
 確かに渋沢の意見を取り入れてのことだったが、だからといって部下に責任をなすりつけるわけにはいかない。
「気にするな。社長は俺だぞ。俺の判断と責任でやってことなんだから恥をかかせるなよ」
 気取って社長としての体裁を保つのが、今の良次にできることだった。
「ほんとにすみません」
 渋沢は泣き出さんばかりの顔になって、また謝った。
「とにかくな、この一週間で売れるだけ売って代金もできるだけ回収して廻ってくれるか。少しでも多くの現金を手にしたいからな。だめなときには有り金を渋沢君と山分けして夜逃げでもするさ」
「ハハ、それもいいですね」
 今度は明るい顔になって言った。
「いや、冗談じゃなくて本気だぞ。渋沢君は単なる一社員だから類が及ぶことはないけど、それでも一切ここには近づかないでほかの仕事を見つけるようにするんだぞ。きっとほかの債権者までが押し寄せてくるだろうからな」
「ええ、僕は独り者ですからどうにもなりますけど社長はどうするつもりなんですか?」
「俺が雲隠れしたとなりゃ家族のところにも押し掛けるだろうからな。一応離婚の手続きをとって東京にでも出て一からやり直すさ」
「社長業っていうのは大変なんですね」
「まあ、好きで始めたことだからな」
 とはいうものの儲かっているときはいいが、こうなると惨め以外のなにものでもなかった。
「それじゃ、もう一軒廻ってそのまま直帰しますから」
「そうか、すまんな。頼むぞ」
 もう夜も八時を回ろうかというのに、渋沢はアタッシュケースを小脇に抱えて出ていった。
 渋沢と入れ替わるかのにように電話のベルが鳴った。この数日は、つい胸がドキッとしてしまう。
「恐れ入りますが、社長の菊池さんをお願いします」
 ていねいな口のきき方が、誰かわからないことの不安より先にほっとさせられる。
「はい、私ですがどちらさまでしょうか?」
「T大附属病院の事務局の者なんですが、実は・・」
 まだ二十代と思える若そうな女は、そこで言い澱んでことばを切った。
「なんでしょうか?」
「菊池秀一さんという方は、お兄さまでいらっしゃいますよね?」
「ええ、そうですけど」
 そこまで聞くといやな予感が頭をよぎる。これまでにも何度か、兄には苦い経験をさせられている。そのうち何度かは警察沙汰にまでなっているのだ。