その6

 僕も高校は二人の兄とまったく同じ市立工業高校の電気科という、不器用なコースをたどった。大学までいくような経済的余裕などあるはずもないから普通高校は考えられず、必然的に実業高校を選択することになる。農業は農家の息子ではないし、商業も簿記などというのはおよそピントがずれていた。工業系といえばほかに国立や県立もあったが、成績からいえば市立に落ち着かざるえないのだった。
 就職は成績が上位だったのでどこでも希望できたが、なんのためらいもなく東京に勤務できる会社を選んだ。長兄はなにを言ってくることもなく、お袋は次兄のときと同じように地元に残るようこだわったが、しつこく言ってくることはなかった。
 会社は業務用冷凍冷蔵庫の専業メーカーで、面接は十月の就職試験解禁の日に仙台支店で受けたが、学校にもどってみると既に内定通知の連絡が学校に入っており、めでたく電気科では就職決定の第一号となった。
 冬休みに入って郵便配達のアルバイトをしていたが、大晦日の数日前の午後、配達が早めに終わったので家に寄って休んでいると、中山のおばさんが遊びに立ち寄った。ちょうどお袋が買い出しにいって留守にしているときだったので、僕はしたくもない茶飲み話しに付き合わされる羽目になった。
「とうちゃんとかあちゃんは、いまでも家裁でやりあっでんのすか?」
「ええ、年中行事みたいにしてやってますねえ。よく飽きないと思いますよ」
「ふふーん」
 おばさんは含み笑いを浮かべ、僕の顔をしげしげと見てくる。「あんだも四月には就職すんだがら、もう大人だと思うがらわがっぺど思うんだげど、かあちゃんも女だっでごどさ」
「はあん・・」
 ちょっと頬を緩ませたぐらいにして、うなづいた。
 別居がはじまった翌年から、親父は毎年のように家裁に離婚調停を訴え出ていた。そしてお互いに何度か家裁に足を運んだあと、最後はとにかくお袋が離婚には応じようとしなかったので調停不調の結末を迎えるのだった。
 家裁から帰ってくるたび、お袋は例のごとく愚痴三昧を極めていたが、それが三、四年目あたりからは親父のことだけでなく、調停委員の悪口まで言うようになった。
「なんだ、あのよぼよぼのババア。どっぢの味方しでんだがわがんねえやづだな。さんざんな目にあわされでぎだのはこっぢだっでいうのにや。なんでおれが文句言われねげなんねんだ」
 お袋がめちゃくちゃな理屈を並べ立てるのはそうめずらしいことではないが、これに関してはもっともなことのように思えた。だが、調停委員への攻撃は年ごとに増していき、僕が高校一年のときには、慰謝料の話しまでが具体的に出たらしかった。
「たっだ五十万円ぐらいで別れでなんがやっが。女に注ぎごんだ金なんで、そんなもんできがねえがらな」
 五十万という金額が高いのか安いのか検討もつかなかったが、いい加減うんざりしていたので半分投げ遺りに言ってやった。
「もう金なんでどうでもいいべや。いづまであんなやづといっしょになっでれば気がすむのや?」
 するとお袋は目を鋭くし、語調を強くして詰問してくる。
「おれが別れだら、おめえの名前だっで山田に替わるんだど。そんでもいいのが?」
 一瞬息が詰ったまま、なにも言い返せなかった。これ以後僕は、親父との問題ではひと言足りともお袋にどうこう言うことはなかった。

白と赤の細かい花

「アキさんが地太郎さんと知り合っだのは、戦争が終わっで次の年だっだがなあ。隣り村に戦争がら帰っできだ元気のいい三男坊がいるがら見合いしでみねえがっで、道泉寺のお坊さんが写真をもっできでくれでな。アキさんはすぐに飛びづいだわやな。お見合いで一目惚れしてしまってなや。その三日後には式もあげねえまま輿入れしてしまっだっでわげさ。いまでいう同棲でいうやづだっちゃ。まあ、あのころは戦争で男が死んでしまっで、女が余っでる時代だったがらなやあ。アキさんも三十になっでだがら焦っでだんだべなあ。安衛門さんにはとっぐに嫁さんがきでだがら、小姑の立場で家には居づらがっだってごどもあったんだべなあ」
 おばさんは外の遠くの景色を見やりながら言った。安衛門とはお袋の兄で、運のいいことに戦争にはいかずにすんだのだという。
 初めて聞く話しなので、僕は最初迷惑がっていたのはすっかり忘れ身を乗り出して聞いていた。
「そんで一年もしねえであんちゃんが生まれでや。それでアキさんは籍を入れるづもりだったんだべげども、地太郎さんの方はなかなかその気になれながっだらしいんだなあ。要するに、ほがにも女がいだらしいんだわ。そんで酒は飲むわ、賭事はやるわだべえ。そらあ苦労するわなあ。二年後には康二君が生まれだんだっちゃ。籍を入れだのはそれぐれえのどぎだったんでねえがな?」
 おばさんは小首をかしげながら言った。
「ほがに女がいだっで、ナルコの女どがいう人すか?」
「うん、それもいだげど、そんどぎはまた別のがいだらしいなあ。鳴子のは、勤め先の慰安旅行で鳴子温泉にいっだどき知り合ったらしいど。そごで芸者をやっでだっでいうごどだわ」
「あ、そんでナルコの女すか」
 “ナルコ”とは、その女の名前とばかり思っていたのだ。
「まあ、いろいろあっだんだべげど、あんちゃんも康二君も勤めて康平君も就職すんだがら、これでやっどアキさんも楽でぎっぺなあ」
 目を細め顔をほころばせながら、僕をまじまじと見ながら言うのだった。