その9

 新しい会社の仕事もはじめのうちは張り切ってやっていたが、一年もたつと似たりよったりで大きな変化もなく五年が過ぎた。そんなある日、社長が仙台へ転勤の話しをもってきた。
「横瀬君はもともと仙台の出身だろう。向こうの所長が今年いっぱいで辞めて独立するんだよ。いまいる人間を昇格させるんではあまりに若過ぎるからさ。どうだ、仙台営業所で新しい所長としてやってくれないか」
 所長というといかにも聞こえはいいのだが、部下は二十歳そこそこの若者二人だけだ。修理がどんどん入ってくれば、逃げられない立場におかれるだけのことなのだが、僕はひとつ返事で承諾した。
 来年三十を迎えるという年になったせいもあり、以前のような仕事そのものに対する苛立ちとか疑問はなくなっていたが、付き合っていた女とのトラブルもあって、東京での生活に少なからず疲れを感じていたからだ。引き上げるにはいいタイミングだった。それにちょっとカッコをつけていえば、お袋は現在長兄家族が近くに住んではいるもののアパートで独り暮らしをしている。多少親孝行の真似ごとをするのも悪くはないな、と思ってもいたのだった。
 それから数日後のこと、新昭和冷機の総売上げ高が五年目にして大昭和冷機の売上げを越えたというので、そのご褒美にグループの社員全員に海外旅行がプレゼントされるという話しがもちあがった。三十年以上の実績がある会社をたった五年にして追い抜いたのだから、その浮かれようが想像できようというものだ。
 これには首都圏の五つの販売代理店が、新昭和側についたというのが大きく影響していた。なにしろ、もともとその五つの代理店だけで大昭和冷機の全体の売上げ高の半数を占めていたのだから、無理からぬことともいえた。またあとから知ったことだが、大昭和冷機には他社で販売のエキスパートとして鳴らした人物が、僕らと時期を同じくして営業担当取締役として入社した。この取締役が代理店に対し、生かさず殺さずという方針を強硬に押し付け、代理店主の反感を買っていたというのが分裂騒ぎの背景にあったのだという。
 四泊五日のグァム旅行は一度に全社員がいくというわけにはいかないので、仕事の暇な冬場に三回に分けていくことになった。僕は年末には転勤が控えていたので、その前の第一陣でいくことにし、パスポートをつくるのに長兄に頼んで戸籍謄本を取り寄せることにした。
 ところが依頼した翌日には、兄は電話口で興奮ぎみに語るのだった。
『おまえ、お袋が離婚したのは知ってるか』
「はあ、どういうことだよ?」
『いやな、もう二年前のことになるんだけど、裁判の確定判決によっていわば自動的に離婚手続きがとられてるんだ。昼間、裁判所とお袋にも聞いてみたんだけどさ。話しを総合すると親父が離婚請求の裁判を起こして、その裁判の日にお袋がいかなかったらしいんだな。欠席裁判だから当然親父の言い分が百パーセント通るわな』
「へえ、なんでいかなかったんだ?」
『なんでって、もうあの年だろう。それに家裁じゃなくて地裁の方だからな。もう親父とやりあう元気もなかったんだろう。それでも昼間話しをしたら籍は元にもどせるから、その手続きをしてくれって言うんだよ。地裁に訊いてみたら控訴期間は二週間だけで、そんなことはしようもありませんってさ。まったくこの後に及んでさあ』
「そ、それで俺の苗字はどうなってるんだよ?」
 それがいちばん気になるところだった。
『ああ、心配するな。横瀬のままさ。お袋は除籍になって実家の方の籍に入ったから山田性にもどってるけど、おまえのはそのまま親父の籍に残ってるよ。だから、戸籍上は親父とおまえのほかはみんなバッテンになってるよ』
「そうかあ」
 なにはともあれ、山田性になっていないのであれば、ひと安心だった。

赤い花びら多数

 この年になって男が、それも知らない間に「私、名前変わりました」なんてのは笑い話しにもならない。兄から二十歳になれば自分だけの戸籍をつくれるというのを聞いていたのでそのつもりでいたが、いざ二十歳になったらいつでもできるという思いでそのままにしてあった。
『ほかにもおもしろいことが書いてあるけどな、ふふ・・』
 兄はおかしな含み笑いをして電話を切った。
 手紙は翌日の日曜出勤の代休の日に速達で届いた。そして、戸籍謄本を見て含み笑いの意味が一目瞭然にわかった。親父はお袋と離婚した一ヵ月後、別の女性と結婚していたのだ。
「ふへっー」
 親父が六十六歳、相手の女性が四十一歳である。稼ぎも財産もろくにない年寄りが、どうやって二十五も若い女をつかまえたのだろうか。
「はあん? アッハッハッ」
 僕は大声を出して笑った。なんと、さらに婚姻の隣りの行を見ると、結婚した一年後には協議離婚をしているではないか。なんともはや、親父らしいといえば親父らしかった。
 ほかにも記載内容を丹念に追っていくと、それまで知らなかった多くのことが見えてくる。親父の本籍地、氏名の横に戸籍の編成年月日、つまり婚姻届出の日が書かれてあるが、なんとその日は僕が生まれた後の年月日なのであった。
 僕の誕生日は九月一日、入籍日は九月四日。さらに僕の出生届けはその四日後の九月八日。なんということか、僕が生まれるまで内縁関係でしかなかったのだ。しかも九月四日はお袋の誕生日にあたる日だ。その日に入籍するとは、誕生プレゼントとでも洒落てのことなのだろうか。
 続けて長兄の項目を見てみると、婚姻届けの日に『父に随い入籍』とある。次兄はと見ると、やはり『山田アキ戸籍より入籍』とある。さっそく電話で役所に問い合わせてみると、これは両親の婚姻により二人のそれぞれの戸籍から入籍されたことを意味するのだという。僕が生まれるまで二人の兄は、戸籍上ではあるがそれぞれの片親であったのだ。
 以前友人と酒を酌み交わす席で、何度かふざけてこんなことを言ったことがある。
「長男と次男は二つ違いでさ。おれは次男と六つも離れてるんだよ。え、どう思う? 八畳一間の長屋で生活してるまるっきりの貧乏人がさ。三人も育てられるわけがないんだよ。盛りのついたノラネコじゃあるまいしさ。喧嘩ばかりしてても、やるべきことはしっかりやって、いかにもそのついでに生まれてしまったって感じなんだよなあ。だから、こんなひねくれたガキができてしまったんだよ」
 冗談とはいえ、二度とこんなつまらないことは口にするまい。
 二枚の謄本を何度もくり返し見ていくうち、僕は指先が震えてくるのを抑えきれなかった。