7 女の正体

 ホテルには約束の二時少し前についた。喫茶室に入り探すまでもなく、すぐに背を向けた白のワンピース姿は見つかった。
「杉本さんですね。初めまして、今井裕一です」
「いいえ、こちらこそ。杉本香奈子です。よろしくお願い・・!?」
 柔らかな中腰での挨拶が、今井の顔を正面に見たとたん身体全体の筋肉が引きつってしまったかのように背筋が真っ直ぐになった。すぐ、うつむき加減に座り直すとハンドバッグを開け、封筒を取り出した。
「勝手で悪いのですが、私のタイプじゃありません。この話しはなかったことにしてください。これ、お約束の交通費です」
「え、そうですか。それじゃまあ、諦めますけどこれはけっこうです。ただ、少しだけでもこういうことになった経過とかお気持ちを伺えませんか」
「一度約束したことですから受け取っていただかないと困ります。それじゃ急いでますので失礼します」
 伝票を手にするとレジに向かう。今井はとにかく話しを聞きたい一心であとを追った。
「ちょっとだけでもお願いできませんか」
 まるで取りつく島がない。今井が眼中にないかのように外に出ると通りに止まっていたタクシーに飛び乗るようにしていってしまった。
「ビール腹がいけなかったかなあ」
 出っ腹を擦りながら、恨めしい思いでタクシーを見送った。
 ところがタクシーは百メートルも走ったあたりで突然止まり、杉本香奈子が降りこちらに向かって歩いてくるのだ。そして今井の目の前に立つと、ニヤッとして薄茶が入ったサングラスを鼻先まで外し、愛嬌のある目で見入ってくる。
「嘘つき!」
「す、すみません。でも、どうしてわかったんですか」
「今井と今野のどっちがほんとの名前なの」
「えっ?」
「まだわからないの。私の写真、いっぱい撮ったでしょう。変態じみたポーズまでとらせたくせに」
「あ、綾子」
 髪が短くなって気がつかなかったが、テレクラで誘いヌード写真を撮った綾子だった。あれから綾子とは二度会って、外でも自然あふれる写真も撮らせてもらっていた。
「本名は杉本香奈子。最近髪の手入れが面倒になったものだから、ショートにしたの。世の中なんて狭いものね。こんなところじゃなんだから、もう一度入りましょう」
「そうだったのかあ。こっちの本名もメールで書いたとおり今井裕一さ、ハハ」
 苦笑いのうちに二人は、再び喫茶室に入り席に落ち着いた。
「そうすると入籍の話しは本気で考えてなかったんでしょう?」
「雑誌の記事のネタにでもしようかと思ってさ。ごめん」
「もう・・。さっき顔を見たときはほんとにびっくりしたわ。でも、これもなにかの縁ね。少しは気心が知れた仲だし、この際だから本気で考えてもらえませんか。あとあと迷惑をかけたりしませんから。独身ていうのはほんとなんでしょう」
「ああ、いまはね。三年前に女房を病気で亡くしてさ」
 佐智子の妊娠がわかり、子どもができると喜んだのも束の間だった。お腹に痛みがあるというので調べてみたら、子宮ガンにかかっているのがわかったのだ。それも他の臓器にまで転移しており、摘出手術を受けても手遅れの状態だった。
 それから四ヶ月後、佐智子は痛みに苦しむ中をあの世へと旅立ってしまった。
「ふーん、そうでしたか」
「戸籍の離婚歴など、本籍を他の都道府県に移してしまえばきれいに消えてしまうからね。どうってことはないんだけど、少し考えさせてくれないか。他に申し込んできた奴はいるのかい?」
「ええ、五人いるわ。会ったのは今井さんが初めてだけど、今度の日曜に一人会う予定にしてるわ」
「じゃあ、木曜ぐらいまでよくよく考えて返事するよ。それにしても出産費用なんかもかかるんだろうに、その若さでよく百万円も用意できたなあ。相手のヒヒ爺さんからかい?」
「ふふ、そんなんじゃないわ。両親が開業医をやってるの。お父さんは持病があるからしばらく静養する必要があるけど、それぐらいのお金には困らないわ」
「医者か。でも、その子の父親はどんな男なんだい。勤務先の上司とか?」
 それまで穏やかな笑顔で話していたのが、険しい顔つきに変わって言う。
「違います。それだけは絶対内緒よ。私のわがままでしてることだから、できるだけ人には迷惑かけたくないの。お金で済ました方がきれいさっぱりいくでしょう。百万円はきちんと払うわ」
「まあ、いい小遣いにはなるなあ。それよりどうだい。また撮らせてくれないか」
「もうだめよ。お腹がこんもりしてきたもの」
「いや、それがいいんだよ。妊婦の写真を撮って個展を開いた写真家だっているんだよ。ぜひ綾子に、じゃなかった。香奈子にモデルになってほしいな」
 香奈子は顔を寄せてくると耳を貸すように言い、耳たぶを引っ張ると小声で叫ぶ。
「スケベ!」
 隣りの席に座っていた品のよさそうなおばあさんが、冷ややかな眼差しを投げかけてくるのだった。